令和6年1月8日参拝
友達が博多に詳しくて「この辺は寺町なのよ〜」と連れてきてくれました ヘ(゚▽゚ヘ)
1枚目の写真は博多旧市街と呼ばれるエリアのほぼ入り口なわけですが、歩車道どちらも石畳びっちり!
実はこの道、昭和40年に承天寺の境内を分断して通された市道でした。
平成になって寺町の景観づくりが議論される中で平成26年に「博多千年門」建立が実現したらしい。
博多千年門-承天寺通り
太宰府政庁へ続く官道には辻堂口門という門が存在してたので、あながちシャレでもないみたい。
建材には太宰府天満宮から贈られた樹齢1,000年のクスノキが使われ、額の揮毫も宮司さん✨
そんなことは知らずにやって来た承天寺。
大博通りからスッと入ったとこです。
閉ざされた勅使門になんか書いてあるね 👀
承天寺は臨済宗東福寺派の寺院で本尊は釈迦牟尼仏です。
宋から来た貿易商の謝國明が七堂伽藍を建立し、仁治3年(1242)円爾弁円(聖一国師)を招き開山となりました。
それから承天寺は臨済宗東福寺派の法源、西海の巨刹として栄え、盛時は塔頭43寺を有したと伝えられているが現在は乳峰寺、天輿庵、宝聚庵、祥勝庵のみ。
建長7年(1255)円爾は藤原道長の招きに応じて上洛し東福寺を開堂、(中略)弘安3年(1280)入寂。
応長元年(1311)花園天皇より国師号が贈られました。
門をくぐると鐘楼と仏堂がありました。
拝観無料なんですね(゜д゜)
ただしお堂の中まで入れず外から🙏
大きなまんまるの瞳に誠実さを感じる仏さまたち。
釈迦三尊-仏殿
博多祇園山笠の切り絵がステキ。
これが切り絵ですよ。
切り絵とはこういうものです。
仏殿の後ろは承天寺通りで分断されています。
承天寺二度目の友達がいなかったらここで他のとこ行ってたかも‥。
道を渡ってまた承天寺に入りますよ。
次は案内板のとおり方丈・石庭を拝観したいところ。
境内の様子。
素直に石畳を歩いていけば寺務所です。
㊧饂飩・蕎麦発祥の地の碑
聖一国師は宋から粉物製法を持ち帰りました!
㊥御饅頭所の碑
とある茶店で歓待を受けた聖一国師はお礼に饅頭製法を伝授のうえ御饅頭所の看板をあげました。その看板はなんと虎屋(東京)が所蔵しているそうです。
㊨満田彌三右衛門の碑
鎌倉時代に聖一国師と宋へ渡り博多織の技術を持ち帰った人。江戸時代に福岡藩初代藩主の黒田長政が幕府に献上した博多献上柄は博多織の代名詞。
寺務所にやってきました。
|д゚) 御朱印はこちらでOKみたいだけど‥気になる〝拝観断〟の文字!
結論から言うとお庭の公開はしていないそうです。
職員さんが(塀の間からチラ見ならできますよ)って小声で教えてくれました (・`◡´・)
拝観ができないのは旅行者にとって割と事件。
お庭を眺めながら歩き疲れた身体を休めてお茶なんか飲めたらいいな〜と思っていたのに叶わず、また歩き続けないといけないのです( ノД`)
そう考えると京都って最高の観光都市なんですね‥
石庭はどこなんだろう?
境内の門を見てまわるけどわからん。
外に出て承天寺通りの門から見たお庭。
言われてみれば向こうの方に石庭があるような気がします(そういうことにしましょう!)。
当然ながら、お庭って外から覗き見てあら素敵って思うようなつくりにはなってないですね。
オリジナルではなさそうだけど、博多旅行の記念として博多織の御朱印帳をいただきました。
現地では(やっちまったか!?)と思ったけど、工芸品博多織の検定書付きだし、今じゃなかなかステキじゃん?と気に入ってます。
でも選択肢があったなら、もっと淡いくすんだ色みを求めていたと思いますよ。
御朱印の書き入れはされてなくて、別で書き置きをいただきました‥ (`Д`)ガーン
裏表とも同じ献上柄です
◾️萬松山勅賜承天禅寺(承天寺)
福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9