喜光寺(奈良市) | ハニーちゃんがゆく!

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令和5年1月30日参拝

菅原天満宮のすぐ近くです。

裏から入ればホントすぐですが正面にこだわって阪奈道路の南大門から入るなら徒歩3分かな。

明治初年の神仏分離令で菅原天神と切り離されたお寺さんだから近いわけだわ。



仁王さんボディがかっこいいな (๑´▽`๑)ノ

わたしが好きな筋肉は腕とう骨筋から手首の部分です(余計な情報)。



できれば蓮を見たかった。

いつかロータスロード四ヶ寺めぐりしたいと思ってるけどなかなか叶いそうもなく時期はずれの参拝です。

境内に置かれたものすごい数の鉢を見て舞台裏をのぞき見した気分です✨



養老5年(721)平城京の一角に土地を譲り受けた行基菩薩が布教活動の拠点として建立したお寺です。

当初は菅原寺と称していましたが、

天平20年(748)光り輝く本尊をご覧になった聖武天皇から喜光寺の寺号を賜ったとか。

翌年に行基菩薩は喜光寺で入滅🙏



これが有名な重要文化財の喜光寺本堂。

行基菩薩は東大寺大仏殿建立の際に喜光寺金堂をひな形にしたので試みの大仏殿と呼ばれているそうです。

「拝観希望の方は本坊まで」って貼り紙があるのに本堂を覗いちゃった👀

阿弥陀如来と観音・勢至両菩薩✨



時代は下り‥、

荒廃した喜光寺を再興したのは西大寺叡尊でした。

鎌倉時代に喜光寺を管理していた興福寺一乗院門跡が建治元年(1275)復興を依頼したのです。

西大寺の聚宝館に行基菩薩像があるのはそういうことなのね!?



本堂のうしろには叡尊が鎌倉へ下向した際に江ノ島から勧請したと伝えられている弁財天。



御神体の宇賀神は興福寺にあったものだというから、

叡尊さんが鎌倉幕府と興福寺に仲良くしてもらってたという証。

信仰のつながりが大切な時代です。



ここでも西大寺叡尊の話が出てきたのはびっくりだけど今の喜光寺を管理しているのは薬師寺なのです。

詳しい経緯は分からないけど行基さんのお寺をみんなで守ってきたという歴史に感動〜( ;∀;)

仏舎利殿(永代供養墓)


鉢の向こうに石仏! 👀



中央に不動明王、

阿弥陀さん、文殊さんに聖観音がいくつかとお地蔵さんが多いですね。

双体道祖神もたくさんいます✨



そんなこんなで拝観の申し出をする前に一周してしまったわけですが、

本坊で「実はもうお参りしてきました」というわたしをお坊さんは笑顔で迎えてくださいました。

「ねぇ、この日本寺って」

「千葉県のお寺ですよ 東京から来ました」

聖武天皇勅願寺なんて書いてあるからそりゃ気になりますよね。



なんだか感じのいいお坊さん、

薬師寺の副住職も兼任なさってて品川の薬師寺東京別院にもよく行かれるそうです。

東京別院は月参りしてるのでまたお会いするかも〜なんて話をしましたが、

気になって過去の御朱印帳を見返したら東京別院ですでにお会いしてました。

偉いお坊さんとゆっくりお話できて感激。



㊨ 本尊の御朱印です。

無量寿とは阿弥陀さまのこと。

㊧ 無財七施とは行基菩薩が人々に伝えてきた事で、

人に笑顔で接するとかお年寄りに席を譲るといったお金をかけなくてもすぐにできる奉仕のことだそうです。

すぐにでも実践できそうでいて難しい。



Googleマップを見ながらバス停を探してたら天満宮の常夜灯を発見✨

境内の隅に移すよりいい残し方ではあるけど危なくないのかなって心配になる。



多分あれは垂仁天皇陵なのです👀



宝来東口バス停こんなとこ。

宮内庁管理とは(゜д゜)



手が届かないので直せなかったのですが、

この盛り土が垂仁天皇陵の陪塚であることを示す柱がぶっ倒れていました。




◆清涼山 喜光寺

奈良県奈良市菅原町508