令和5年1月1日参拝
鎌倉駅から徒歩10分くらいのお寺です。
‥と言っても鎌倉に着いてから5時間近く歩きっぱなしでいい加減ヘトヘト。
総門の横にある夢殿風の建物は幼稚園ですと 👀
門松のうしろに立つ〝蛇苦止大明神正月大祭〟の看板よく見たら次の日だった。
月例祭は1日みたいです
妙本寺は北条に滅ぼされた比企一族の菩提寺で、
蛇苦止堂(黄色い四角)には若狭局(頼家の側室)が祀られています。
ちゃんと気にしてたのに後回しにしたら行くのすら忘れてしまったんですけど‥( ;∀;)
頼朝の後を継いで将軍となった頼家は、
信頼する比企能員の娘との間に生まれた一幡を嫡子として扱っていました。
‥北条にとっては大ピンチでした。
そんなわけで比企一族は建仁3年(1203)滅ぶわけですが比企能員の末子にあたる比企能本だけは助かっていて、
文応元年(1260)屋敷を日蓮に譲り一族の菩提寺として妙本寺が建立されたのでした。
戦前までは宗祖入滅の地であり本山格の池上本門寺と両山一首で運営されていたそうですよ w(*゚o゚*)w
二天門
境内の一番奥に建つのは祖師堂で、
本堂は寺務所の隣になります。
塔婆がたくさん立ってる小さな石は源頼家と若狭局の長男にあたる一幡のお袖塚です🙏
まだ6歳だったそうですよっ(´・ω・`)
大きな五輪塔は逆修塔といって生前供養塔として建てられたものでした。
願主は前田利家の側室千代保の方。
養珠院お萬の方(徳川家康の側室)と親しく熱心な日蓮宗徒だったそうです。
お萬の方は女性で初めて七面山に登頂した程のウルトラですからハンパな気持ちではお付き合いできません。
妙本寺にドでかい五輪塔を建立することで信仰心をアピールしたのではないでしょうか。
その下に比企一族の墓がありました🙏
4基の五輪塔がそれ。
寺務所へ行く途中の帝釈天王が気になって調べたら、
開基の比企能本が日蓮自刻の帝釈天像を譲り受けて身延のお寺に安置したらしくて、
この石はその像の御分霊みたいなものじゃないかと思いました。
御朱印は驚いた 👀
ひとりだったら知らなかったことなんだけど、
二人なので2種類ぽんと渡されて、
(お好きな方をどうぞ)ってことみたい。
仲良く分けてわたしがもらったのがこちら。
我深敬汝等(がじんきょうにょとう)
我深く汝等(なんだち)を敬う
法華経からの抜粋とのことです。
(*˘◡˘*) いつもいつも思いますが、
日蓮宗寺院の御朱印センスとても良い‥♡
■長興山妙本寺
神奈川県鎌倉市大町1-15-1