熊野神社 奥殿藩主廟所(岡崎市奥殿町) | ハニーちゃんがゆく!

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令和4年6月3日参拝

松平郷を出て15分くらいだったか、

奥殿陣屋ってなかなかいいとこらしい!

前を通りがかったのが17時過ぎで見学できてないんですけどね〜。



クルマを置いた奥殿陣屋東駐車場に奥殿藩の守護神だったという熊野神社がありました。

奥殿藩とは松平4代親忠の二男乗元を城主として分割した大給松平氏の一族です。

理解するまで苦労しました (๑⃙⃘’﹏’๑⃙⃘)



この辺りは小さな富士山を思わせる山容が三河富士と称される村積山(標高258m)の麓で、

奥殿藩主の廟所は登山道の途中にあるらしいんです。



|ω・) 軽くおまいりします。



詳しいことは分かりませんが、

奥殿に陣屋を構えることになったのが8代将軍吉宗の時代だったから紀州徳川家の氏神を勧請したのではないかと推測。



さらに言えば大給から松平家と一緒に引っ越してきたのかもε(๑´▽`๑)ɜ

だって村積山には村積神社があるんだもの。



昭和45年11月製の狛犬さんは顔が良ろしくないんだよねぇダッシュ



特に感想もない。



この近くには矢作川に合流する巴川が流れています。

神社の隅に昭和七年水害復舊記念の碑。

昭和7年7月に三河地方を襲った激しい雨で山崩れや洪水が発生し、

額田郡においても多数の家屋が流出し多くの犠牲者が出たという記録が残されています。



奥殿陣屋ルートの登山口はすぐ分かりました。

山頂まで40分くらいで行けるようですが今回は勘弁してもらいます〜。



入山から5分ほどで石垣が見えてきました!

白壁の向こうが奥殿藩主廟所です。



奥殿藩主は松平4代親忠の二男にあたる乗元を城主として分立した大給松平氏の一族‥わからん。

大給松平家複雑すぎた。

銘板を見てもさっぱり頭に入ってこないので自分なりにまとめました 三 (lll´Д`)



先代から大給城を譲り受けた乗元から大給松平家が始まる。

5代眞乗あたりから徳川家康に仕えると、

長男家乗(のちの6代)は家康の関東移封に伴い上野国へ転封(大給城廃城)、

二男眞次の方は大坂の陣で戦功を挙げて6千石の加増と合わせて父祖の旧地である大給を希望して陣屋を構える(ここから眞次系スタート!)。

子の乗次が大坂定番となり1万石の加増で大名になる。

ところが眞次系4代乗真は養子なので旧地にこだわらない。

山間部の大給から便のいい奥殿へすんなり移転する‥と、こんなとこでしょうか。

下の図見ないとわたしも分かりません。



とりあえずここは水色の枠で囲んだ眞次系大給家の廟所になります ε-(´∀`; )  

眞次系大給家2代と4代の内部抗争とか幕末に11代松平乗謨(のちの大給恒)が佐久に移って五稜郭とかその辺はおもしろいけど割愛します。

中央の五輪塔が眞次系大給家の祖で奥殿藩祖眞次です🙏!



五輪塔の両脇に2代から4代夫妻や子どもたちの傘塔婆が横に並びます。



4代乗真の息女と5代盈乗(みつのり)。



5代盈乗の母は若くして歿した盈乗の供養と奥殿藩の繁栄を願って地蔵尊を建立しました。



6代乗穏(のりやす)夫妻、



8代と11代はそれぞれ活躍した領地にあるらしいです。



今回は山頂とか隣の村積神社とか行ってないのと慣れた人がいたおかげで山に入りましたが、

下山のリミットは遅くても16時!

普通にイノシシがいる山だしいくら明るいからといって夕方からの入山はおすすめしませんパー

ササユリ



■熊野神社

愛知県岡崎市奥殿町西日影16-3