観泉寺(杉並区) | ハニーちゃんがゆく!

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令和2年5月31日参拝
西武新宿線上井草駅南口から徒歩10分です。
こちらのお寺の事は今年3月に静岡龍雲寺の寿桂尼墓所で会ったおじさんに教えてもらったんですよ〜 ◟꒰◍¯◡¯◍꒱◞ 
寿桂尼→今川義元の母


開基 今川氏真
今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると家臣の離反が相次ぎ今川家は衰退、
武田信玄の侵攻で駿河を追われた氏真(義元の子)は掛川へ‥。
しかし三河の松平元康に攻め込まれ城を明け渡すことになるのです。
領地を失った氏真は正室である早川殿の実家(北条氏康)から援助を受けたりしながら、
晩年は家康に与えられた江戸品川の屋敷で暮らしていたそうです。


今川氏が治めていた静岡にさえない「今川」という地名が東京にあります。


地名の由来はもちろん今川氏の菩提寺である観泉寺(2丁目)にあり、
観泉寺を中心に1〜4丁目まで広がっています。
今川氏真以降の当主や一族の女性や子どもたちのお墓があるので後でお参りします〜。


観泉寺は曹洞宗の寺院で本尊は釈迦牟尼仏です。
慶長2年(1597)の創建当初は成願寺6世の鉄叟雄鷟和尚が開いた観寺(下井草二丁目)というお寺でした。



氏真の後裔は江戸幕府に仕えて高家として京都や日光などに代参するわけですが、
徳川家康の30年忌を迎える正保2年(1645)、
今川13代直房は東照社の宮号宣下における使者を務めたことで徳川三代将軍家光より石高の加増を受けたのを機に氏真の墓所を万昌院より改葬しました。



直房は伽藍建立に貢献した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を讃えて中興の祖とし寺と改称するのです。


急な雨降りで傘持ってなかったんです‥。


 小走りで駆けてくる庭師さんと「降ってきちゃいましたねぇ!」なんて声を掛け合いながら墓所へ向かう。


今川家累代墓がこちら。
雨降るとお線香あげられない ( ´ω`)


供養塔はこれだけじゃないんですよぅ。
動画でどーぞ。



そのうち本降りになっちゃって、
ぼんやり雨宿りしてたら本堂の風鐸が揺れたんだよね ヽ(;´Д`)ノ 
カランコロン的な音じゃなくゴーーーンとシブい音でした。
そんな事もあって楽しい雨宿りでした。


今川宝珠殿(斎場)

結局ずぶ濡れで帰ったっつーの。
さみかった。


■観泉寺
東京都杉並区今川2-16-1