岡田八幡神社(伊豆大島) | ハニーちゃんがゆく!

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ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

平成31年2月7日参拝
思い立って伊豆大島へ‎ ٩( ' ω ' )و
竹芝埠頭の近くに何年も住みながら東海汽船を利用するのは初めてです☆



3月まで島をあげての一大イベント椿まつりの真っ最中!ということで見つけたパッケージツアーが出発前夜の申込みにも関わらずお安かった!
東京都から出た助成金(島に行く事が平成25年土砂災害復興につながるやつ)で旅費から▲6,000円も減額されました!


ジェット船に乗り込んだ途端に安定の船酔いでずっと爆睡 ( ˘ω˘ )スヤスヤ
竹芝から1時間45分の旅はあっという間で気がつくと大島が見えてた! Ꙭ


この日の入港は岡田港でした。
生げっぷとフラつきに耐えながら下船の準備。
うえっぷ ε-(›´ω`‹ ) 


海辺で風に当たり休んでいたとこへ第一島人のおじさんが現れた。
何とな〜くこの辺に八幡さんがあるか聞いたらすぐ近くだよと教えてくれました。


一の鳥居まで案内してくれたおじさんは、
今年は正月祭が久々に行われた事を嬉しそうに話してくれました。
あとで島の人が「景気がいい時にやるのよ」って言ってたのは天皇陛下御在位30年で奉祝ムードが高まってるからなのか、
実際に景気がいいのか 🤔



「ここは鎌倉の八幡さまと同じだよ〜」と手を振っておじさんはお帰りになりました。
源為朝の軌跡を辿るのが目的だったので一社目から八幡さまとはツイてるんだよね☆

しめ縄に付いてる葉っぱはユズリハ

さて、
伊豆大島で八幡さまときたら真っ先に思い浮かぶのが鎮西八郎こと源為朝(みなもとのためとも)。
この人 弓の名手というけどそれ以外にも特殊能力を備えてたんじゃないかと思うほどタフなお方w



ここで為朝さんについてざっくり。
為朝は河内源氏源為義の第8男で、
とんでもない暴れん坊だったので13歳で源氏を追放されました。
その後 豪族の娘を娶り九州一円を制圧して鎮西八郎と名乗るボスになってたw
父為義は戦力として為朝を呼び戻し保元の乱(1156)に参戦 ‎٩( ・̀ω・́ )و 
父子で第75代崇徳天皇方に付きますが戦いに敗れ、
為朝は伊豆大島に流されてしまったのでした。



島流しぐらいじゃ為朝の勢いは止まらない。
大島で島代官の娘を娶り力を付けると島々を巡り伊豆諸島を征圧、
しかし伊豆国司の追討を受けて自害に追い込まれてしまったのでした。。



そんな為朝が大島開拓の守護神としてお祀りしたのが岡田八幡神社でした。
正月祭に奉納される天古舞は為朝が先導して溶岩を取り除き岡田地区を開拓した縁起によるものです。
御祭神は第15代応神天皇比売神神功皇后(応神天皇の母)
身の安全と平家の討伐を願い奉じられた〝九重の巻物〟が御神体で、
箱を開けたら目がつぶれると伝えられていたそうです。
ちなみに為朝は美女に入れ込み平家征伐を放棄‥w


味わいのある手積みの石垣で高くなった境内左側からおじゃましてみます〜。


まず萱のオブジェみたいなこれ!
〝イボッチャさま〟という薮神さまの祠で中にはお供え物があるそうで、
例えるなら牡丹苑で見る雪よけの藁囲いみたいなものかと。



もとは各家庭に祀られていたイボッチャさまが明治時代になって寄せ集められ、
昔は小さなイボッチャさまがたくさん並んでいたのが時代とともに石祠に変わってきたそうです。
イボッチャさまは皇統譜に繋がる神さまじゃないから明治政府の規制対象になったのかしら?
関西の荒神さんみたいな神さまかな🤔


巾広の麻紐で結びつけられたお供えなんかみるとこの時期に来てよかったと心から思います◡̈
正月飾りは輪飾り・幣束・松の小枝です。


これは港町ならではでないの!?
大正時代の造船所海難救助山科海事工業所から奉納の船の窓?


明治時代に伊豆大島しかも岡田地区出身の大島伝吉というお相撲さんがいたそうで、
左の力石は小さく見えるけど85貫目(318.75kg!)もある!
伝吉の生家に置かれていたものだそうです。



源為朝に民間信仰のイボッチャさまと、
予想以上に濃厚な八幡さんへのお詣りで大満足なのでした\\ ٩( 'ω' )و //


◆八幡神社(岡田八幡神社)
東京都大島町岡田4