極真第5回全日本は、ホップ時期 | 無門会空手のブログ

極真第5回全日本は、ホップ時期








極真第5回全日本は空手道選手権大会で、極真本部の指導員であった岸信行三段を『回転手刀打ちで、2回倒した』ことがアニメ(空手バカ一代、大山倍達主役)で大々的書かれていた。

自主空手研究3年目(指導者はいない、無指導者)くらい

この時期の私は指導者無き『最高の空手の動きの研究』(20〜23歳前後)段階であった。

私の自伝書を見れば分かるようにスポーツで
『中学時代から高校時代』

に愚かな指導者(意味のない無理な稽古をやらせる)に対して、大変反発していた。

この極真の大会のあと、大山倍達総裁はアメリカ🇺🇸で爆発的な人気を得た『ブルース・リー』に対抗する映画を極真でも制作するということで、

総裁は富樫宜資を押し、梶原一騎はM崎を押した。
映画の主役の件もあり、大山総裁は
極真本部に入るように私に強く進めた。

ある意味大山総裁は、流派にこだわらず、諸事情に関わらず、才能のある人間を育てようとする心意気は大きいと感じた。

しかし、1974年6月くらいまで大山総裁から呼ばれて極真本部に幾度か通って行くうちに、直感的なんか当時は分からないが自分の望む空手では無いということが分かった。

それが今で言う『猫足立ち系』(ムエタイ、キック🦵ボクシング系、ミャンマー🇲🇲ラウェイ、極真空手、フルコン空手)(陸上5種、10種競技🏃‍♀️、マラソン、山岳レース、完全競技性となったテコンドウ)と言った蹴り技や柔術、柔道技は私に合わないし、完成形がない、一生迷いの世界に入る泥沼の世界に入ってしまう危険性を感じた。完成しない空手格闘技は無意識的に避けて行った。

猫足立ちの『受けの100人組手』で猫足立ち系、半後屈立ち系は毎日死に物狂いで受け技の極限の世界を研究していた。



1973年極真の第5回全日本大会は、山崎照朝の半後屈立ちと『前膝で受けての回し蹴り』の受即攻と、盧山初男の後屈立ちの『孤で受けて直線で返す』受即攻は、

もちろん23歳のその時は、私より優れていた(受け技と切れ味、対人稽古が必要であったが私はゼロである)が、その大会の年の1973年12月に、
自分に不足しているスピード・対人稽古をやる必要を感じ、さらに有効な組手方式を解決するために
極意研究会として、
日本🇯🇵空手道無門会

をつくった。20歳くらいから読んで研究していた『山岡鉄舟』『剣と禅』(大森曹玄 著)を剣の極意を母体にしている。

1974年3月から日本獣医畜産大学(中央線武蔵境)時代、山崎照朝の半後屈立ち、そして猫足立ちの基本の攻撃から、受けの訓練に入った。

それが『毎日が受けの100人組手』という熾烈な訓練となって行く。

20人位の大学生中心に4月5月6月7月8月9月10月と『受けの100人組手』は続いたのである。
山崎照朝の技は8月前後には彼の受けのレベルを数倍超えていた。、

受けのユッタリズムは9月か10月頃に徐々に出来上がってきていた。

その時代の稽古内容は、当時の空手を私から学んだ後に

イスラエルの紛争地帯(パレスチナ)に🇮🇱🇵🇸出かけて、無門会空手を指導し、映画館で軍隊の兵隊達と喧嘩になり20名をKOする

羽賀が当時の富樫宜資の日本獣医畜産大学時代の指導を書いている。
『内容は後に紹介』

1975年頃から無門会空手は格闘技で言えば
体重が後ろにある猫足立ち、後屈立ちから、
1974年盧山初男は第6回大会1日目で前屈立ちの選手に後ろ回し蹴りでKOされ、前屈立ち系に苦戦し、受即攻の欠点が露骨になり、東孝の下段回し蹴りの連打に受即攻(胸パンチ)は効果が無く、後屈立ちは論理的に見切って行った。


発展して行った。
1974年1975年は私にとっても『毎日が受けの100人』の稽古相手だった弟子達も大変であった。
私が実戦の立ち方を変えて行ったからである。

大相撲、剣道、フェッシング系統となり、
更には
『受即攻』を極意として

1975年に無門会第1回自由組手大会を開催する。


下記は1990年台以降のポイント性の試合。
ポイント性の大会
   効果 有効  1本
攻撃 10点 20点 30点
カウン
ター ?点 ?点 ?点
受即攻? 点 ?点
(まだ改良点がある?)

2000代の大会
大会でも高度な、カウンター、受即攻技で決めた選手は満点勝利と🏆なる場合もある。
優勝戦で『カウンター』
『受即攻』で優勝する場合もある。

無門会空手の試合は、ほぼ全員が受即攻の実戦がやりやすい『無双の構え』で闘う時が多くなった。

拳グローブは付けても良いし付けなくても良い。

日本や世界の空手の世界は、試行錯誤の大会(完成体が無い)で、

戦後1950年代、1960年代の空手の草創期から60年以上経過しているが、いまだに攻撃技主体同士の戦いで、完成体は永遠にできないのは、完成する道がないのである。

永遠にぶん殴り、蹴り合いのB級試合の繰り返しとなる。
私は日本人としてぶん殴り合いもできない高度な攻撃技と、極限の受即攻技を大会で確立したいと考えている。
そして、洗練された3重の攻撃と4重の受即攻の横綱相撲を築きたいですね。
その最先端を、

望月一成七段、江口慶貞七段、下澤猛七段、古川祐大五段は行っている。