1年間の山修行、300万本達成のために
1976年の1年の山籠り修行の夏頃
修行したシオジクボ小屋から数100m上流の小さい滝がたくさん有る所で撮影した。
この辺りから渓流は段々と細くなり、険しくなる。
滝当たりの修行場所はシオジクボ小屋から200mくらい下だった。
前屈立ちの受即攻修行のために1年の山籠り修行を決行中、新たな世界への挑戦は
『王貞治選手の一本足🦵打法確立(ホームラン世界記録868本)に100万本訓練したという世界一の、
受即攻確立のために王選手の3倍の300万本の訓練』
は山籠り修行🧘以外には無いという結論からである。
朝から寝る時まで訓練である。
1974年〜1975年猫足立ちの受け、受即攻訓練(毎日が受けの100人組手訓練)。
それまでユッタリズムまで極め
猫足立ちの受即攻の極意
『円で受けて、円で返す』の世界とは全く違うような世界であった。
1975年に猫足立ちから後屈立ち、前屈立ちへ移行していった大事な実験の時代であった。
猫足立ちのユッタリズムをいったん捨てて、前屈立ち系の空手に馴染むまで数ヶ月かかった。
猫足立ちの金的攻撃の最先端を蹴る最速の左足が、全く使えず、
左の前足は軸足(金的攻撃の蹴り足が軸足🦵に変わったのである)になり、後ろ足の右足が蹴る中心になる。
結局蹴りを半分捨てて、突き中心に移行する時代でもあった。
大変でした。
10代の若い時は山用(蹴り中心のフルコンタクト空手的訓練)も大変良い。
福岡県本部の少年部や
総本部の少年部は、現在猫足立ちの組手(蹴り技中心の組手)、
そして前屈立ち系の組手(顔面攻撃、平地のグランドの陸上競技🏃♀️的訓練)をやります。
少年期はいろいろ学んだ方が良い。
若い時10代頃までは、山岳用(猫足立ち系、極真空手、フルコン、ムエタイ、ミャンマー・ラウェイ、キック🦵ボクシング)の訓練と
陸上用(前屈立ち系、防具付き空手🥋、ボクシング🥊的突き中心の訓練)の訓練をやっても下半身が強くなる訓練になる。
10代中間まではいろいろ経験しても良いが、20代はムエタイ系か、/ 顔面中心系空手か区分する必要がある。
つまり陸上でも100m、200mにするか、5種競技、10種競技🏃♀️、マラソン🏃♀️、山岳競技🏃♀️にするか決めないと一流の選手にはならない。
キックボクシングの天才児、那須川天心選手が
『キック🦵ボクシング(体重が後ろ側)の山岳競技』から
『突きのみのボクシング的(体重が前側)訓練は陸上競技🏃♀️100m、200m』
と同じで、彼にとってはボクサー転身は大変なのである。
世界チャンピオンのマラソン🏃🏃♀️選手に、100m世界記録保持者のウサインボルトのようになれと言っているようなものである。
彼はそこまでいけるであろうかと懸念している。
大変だろうと思う。
私も猫足立ち系から前屈立ち系に変えたから大変であった。
私は30歳までに
空手を極める、と決心していた、猫足立ちは25歳で全て終了した。
空手の極限の世界は前屈立ち、極前屈立ち、極々前屈立ちへ立ち向かった。
20代前半の私はそういう時間のゆとりは無かった。
1974年3月前後から日本獣医畜産大学で空手を指導した時は
猫足立ちの受け訓練(当時は極真系の猫足立ち系の大山倍達総裁を大尊敬していたので、猫足立ち系を選択していた)に絶対的と言って良いほど執着し、
猫足立ち、半後屈立ち系の『受けの20人組手〜30人組手』辺りから『受けの100人組手』を毎日のように実戦し、半年後くらいにユッタリズムまで築いた。そして
『1の円』
『2の円』
『3の円』
を完成した。
(2007年3月31日フランス🇫🇷パリ、ベルシー体育館で初公開)
(何故ヨーロッパなのか?
当時の既成概念の塊の日本🇯🇵人には理解できなかった)
そして次にマスターしようと考えていた
中国拳法最強の立ち方と言われる後屈立ちは、
1975年に盧山初男選手が2日間あった大会で、初日に前屈立ち系の選手に後ろ回し蹴りで倒されたり、2日目は東孝選手に下段回し蹴りをもらい、盧山選手の中心技の後屈立ちの受即攻(孤で受けて直線で返す技)が思いの他に、いろいろな欠点が有ることが分かり、論理的に受即攻を見極めた。そして
同時に研究していた前屈立ち系の受即攻
(点で受けて直線で返す技)
を1976年1年に渡り徹底する訓練をする事にした。
この写真は、8月頃の写真なので、山籠り約7〜8ヶ月の頃である。
構えは『手刀中段双手構え』
現在の完成体としての『無双の構え』は
下山あとの1978年〜1979年前期頃に完成した。
この(写真の)時期は前屈立ちの受即攻の1日1万本訓練時代で、150万本〜200万本前後の訓練中であった。目標は300万本であった。
前屈立ち系の受即攻の修行真っ最中の時期である。
200万本位では極限のスピードの技を創るレベル段階だったのか、目の前に攻撃者の形はまだほとんど浮かんで来なかった
が、
250万本くらいで攻撃者の姿が具体的に浮かんできて、最高の位置で最高の受即攻ができるポイントが分かって来た。
9月から10月くらいである。
11月頃は🌕必ずホームランの打つ位置というか、相手を吹き飛ばす形が身体に染み込んでいた時期である。
この夏の写真は、私の目標を達成しようとする堅い意志というか、目標に立ち向かう表情が身体に溢れている。
私の空手の山籠り修行は
1973年の100日修行
1976年の1年修行
が主な修行🧘であるが、
1970年頃から毎年1ヶ月〜2ヶ月山籠り修行をやっていた。
『30歳まで極めれなければ空手は止める!!』
という固い決意であった。
山籠り中に、現在の
基本稽古理論
約束組手理論
約束自由組手理論
自由約束組手理論
自由組手理論
を確立し、下山後に大学生中心の弟子を稽古相手(稽古相手は大会で優勝🏆、準優勝🏆を果たした)にして、各段階を完成していった。
そして
29歳で現在の無門会スタイルの
『無双の構え』
を完成した。
構え、そのものは無門会空手の大会では自由である。
現在の空手の大会スタイルは
顔面防具使用OK🆗
拳に薄いグローブOK🆗
身体に防具OK🆗
金的カップOK🆗
無使用もOK🆗
(真剣勝負スタイルOK🆗)
でもあります。
投げは3秒以内はOK🆗
(但し畳みの場合のみ)
ベスト4戦は、3分間
中位戦60秒(変わる時も有り)
上位戦1分30秒(変わる時も有り)