無門会空手の歴史②第1章 1969年前後
1969年前後の話になります。
山形の酒田から上京し、田舎の文化圏から東京の文化圏に入り、富樫宜資(とがし よしもと
、トガシ ヨシモト)は、いかに生きるべきかを深く考える時期に入っていた。
天井まで昇りつめることができるのか、どこまでいけるのか、何を人生の目標にするのか、を選択しなければならない重要な時期が来ていた。
テレビでは、梶原一騎原作の『巨人の星』が流れ、少年マガジンではボクシングをテーマにした『あしたのジョー』(ちばてつや)が毎週本を飾っていた時代であった。
『あしたのジョー』は、当時1969年前後の学生運動をやっていた学生にも影響を与えたほどであった。
富樫宜資はというと、『あしたのジョー』が戦いの途中で『極める』という世界ではなくそれ以前に、リングの上で死んでしまう事が納得がいかなかった。
ボクシングには富樫宜資(トガシヨシモト)が求める世界は無い、というのが結論であった。
分からないが、当時のスポーツ根性の漫画は答えが有るとつまらない、発展途上の若者が『ひたすら何かを追求して頑張る❗️』のが絵になったような気がする。
今は『ゴルゴ13』のような世界は『大人の読み物』、『るろうに剣心』のようなソフトタッチの絵の剣術者は『老いも若きも老若男女』に受ける気がする。
『るろうに剣心』の主役は、最初から極意を得ているような若者で『修行の世界』もほとんど見せないで、
明治は初期の時代の『剣から拳銃』が中心のなりつつ有る時代で西郷隆盛のように『サムライを捨てきれない』ような『ラストサムライ』(アメリカ映画)の時代は、
日本が中国(技術競争)に負けそうなこの変革の現代の時代に似て、日本武道を再確認することも必要なような気がする。
中国拳法よりはるかに高い次元を創っている無門会空手世界を表現できる日本人がいたらすごい事です。
再発見ですね‼️
そんな感じで、1969年前後のトガシは1970年代をどう生きるべきかを模索していた。
そんな時期を表現しています。