富樫宜資・永遠の空手道を求めて、第1章から第2章へ | 無門会空手のブログ

富樫宜資・永遠の空手道を求めて、第1章から第2章へ


第1章は
幼年期、少年期、高校、そして20歳代の哲学的な苦悩までであった。

『世界の偉大なる人物たちとの本で心の会話』が小学生高学年の、私の最大の認識の獲得だったと考える。

プロ野球の王貞治、長嶋茂雄、相撲の大鵬、の存在も大きい。

中学生時代は、中学時代の教育指導者への疑問、スポーツ指導者への疑問が少しずつ、雪崩のように、滝のように音を立てて流れ始めた時期であった。

しかし、1964年の東京オリンピック(極限の世界を追求する世界)は富樫の心を、山形の一地方(2019年9月30日現在、NHKBS再放送のおしん、が山形、酒田で苦難の中、加賀屋のお世話で商売を始めましたね、おしん、大好きで録画してます)から、当時300連勝くらいしていた世界最強のニチボー貝塚のバレーボールチームを作った大松監督は、世界最強、世界最高となるには?の一つの解答がありました。

中学時代から求め始めた『物事の本質とは?』(演繹的な思考が発展してきた富樫宜資の思考回路の研究中)それと真逆に近い、徹底した『帰納法の回答を求める日本の受験教育』との2つの流れがあった高校時代。

そして東京立川、八王子に住み、大学時代に獲得した『弁証法』は、学問的には演繹的なアメリカの大学への留学や、そして衝撃的な、寸止めではない、大山倍達の革命的なモロに当てるという、空手真剣勝負として開催した『第一回オープントーナメント空手道選手権大会』は日本武道(当時私は日本に残されている本質的な世界として、信じられるのは武道ととらえていた)に興味を持っていた私は、1969年、それこそ、私の19歳までの人生の中で最大の事件に近いものであった。

しかし実際に見た『第一回オープントーナメント』の世界は高校時代に見慣れていたキックボクシングの世界よりもレベルが低い、およそ私が予想していた『剣道の名人達人が戦う極意ある世界』とは、かけ離れていたものであった。

この辺までが第1章である。

第2章が
『永遠の空手道を求めて』
になる。

この第2章では、当時日本の空手界ではトップだった大山倍達、武道の理論の著者、南郷継正に会い、又、寸止め空手としてはトップクラスにあった中山正敏の日本空手協会の全国大会、そして全空連の全国大会、世界大会、日本拳法、少林寺拳法、合気道、、の全国大会をくまなく見て、私は何かが日本武道には欠けている、、、事を確信していった。

そして新たに『実験団体』を作ったのである。

それが20年後、1990年からの『極限の空手道、富樫宜資と無門会空手』連載(現在、空手バイブルとして企画中)となって、それまで築き上げた『理想の空手』、弁証法を駆使した『三角形三段階関連区分理論図形』を発表し、日本の若者に、その理論と実践は相当に影響を与えた。

下記の本『ネクサス・コモンズ』はその具体例である。




庄司和晃(弁証法はどういう科学か、三浦つとむ)の認識の発展過程にある図形では解けなかった問題が、『YT理論』(富樫宜資理論)ではすんなり解けるのである。

20代に『帰納法と演繹法』を駆使して、新たな空手の世界を築くだけではなく、10代の時に疑問に思ったスポーツの世界、教育の世界を、理想の空手を完成していく25歳前後からの壮絶な生き方から解決していく流れが、この本には書かれている。

『空手バイブル』(格闘技通信に連載 、極限の空手道、富樫宜資と無門会空手)と

『永遠の空手道を求めて、富樫宜資自伝』は『YT理論』の縦軸と横軸になり、大まかに全体をつかむことができる。

そして組織的には、七段までの実践者を育成している。