ゲッツ/ジルベルト | 頑固不器用ワンパターン

ゲッツ/ジルベルト

今日はCDの紹介をします。

ゲッツ/ジルベルト


アルバムタイトルは「ゲッツ/ジルベルト」。
1963年に発売された、ボサノバのベストセラーアルバムです。
「世界中のエレベータの中で聞けるBGM」と言われた、「イパネマの娘」が入っていますから、勝手な想像ですが世界中で1000万枚以上売れているのではないでしょうか。

ボサノバはブラジルで生まれた音楽で、「ボサ・ノバ」という言葉自体に「新しい音楽」という意味があるそうです。
1963年というこの時期、アメリカの音楽産業がボサノバに目を付け、ブラジルからミュージシャンを連れてきて、レコーディングしたりコンサートを開いたりということが盛んに行われました。

ボサノバは軽妙なポップスですが、コード進行にジャズと共通点があったことから、アメリカのジャズメンはこぞってボサノバカラーの音楽を取り入れて演奏する様になりました。
つまり、アメリカではジャズのリズムの一パターンという位置付けに落ち着いたのです。

スタン・ゲッツ(テナーサックス)とジョアン・ジルベルト(ギター/ボーカル)の名を連ねて付けられたこのアルバムタイトルですが、ボクはこのアルバムはピアノで参加しているアントニオ・カルロス・ジョビンの作品だと思っています。
ニューヨークのレコード会社のプロデューサーは、ジョビンを通じてジョアンとゲッツの共演アルバムを作りたいと提案していました。
ジョビンは英語も話せましたが、ジョアンはポルトガル語しか出来ませんでした。
レコーディングの時、ジョビンは英語で交わされている会話のなかで、ジョアンが気を悪くすることは一切伝えませんでしたし、ジョアンが言う苦情も全部賛辞に置き換えて通訳したと言います。

ジョビンは既に故人です。ジョビンの妹が彼の伝記のような本「ボサノバを創った男」を書いていて、それを読んで知ったのですが、ジョアンもジョビンも「ボサノバは決してジャズではなく、ボサノバはボサノバである。」と誇りを持っていたそうです(ジョアンは74歳ですがまだ元気です)。
このアルバムのレコーディング中、ジョアンはゲッツのサックスソロが長い事に文句を言ったそうです。
ジョビンもそう思ったそうですが、ビジネスとして割きり、英語で「素晴らしいサックスソロですね。」と言ったことが、伝えられています。

これを読んでくださっている方の中には、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「イパネマの娘」は女性が歌っています。
アストラッド・ジルベルトという、当時のジョアンの妻です。
これは現場で試しに録音してみたら、とても良い結果になったので、そのままレコードとして発売されたものです。

当初予定に無かったメンバーが歌った訳ですが、後日スタン・ゲッツはプロデューサーに電話をしてきて、「アストラッドが歌うことは予定に無く、契約も結んでいないのだから、印税は彼女には払うな。」と言ったそうで、ビジネス的にとてもシビアなアメリカ人という逸話が残っています。

ジョビンも分厚い契約書をきちんと読まなかったり、アメリカ音楽家組合への未加入などによって、ボサノバがアメリカで流行し始めた当初は著作権が発生しない状態で、アメリカビジネスに巻き込まれていました。
つまり、ジョビンはアメリカでのビジネスで、印税収入が得られないという時期がかなり長くあったらしいのです。
たとえば、マイケル・ジャクソンやエルビス・プレスリーと同じくらいの富豪であってもおかしくないくらい、あの当時のボサノバブームは物凄いものだったのです。
でも、ジョビンは、不親切でがめついアメリカ人に、搾取されてしまったのですね。

アメリカ人は、「俺達が貧乏なブラジルから奴らを連れて来てやって、メシや宿の世話をしてやって、喰わせてやっている。」という態度であったと、「ボサノバを創った男」に書いてありました。

こういった話を読み聞きする都度、ボクはアメリカ人が嫌いになります。
未だにイラクに駐留しているアメリカ兵のことを考えると、ここに書いたボサノバの話と符合する事が余りにも多すぎるからです。
彼等は自分達アメリカ人さえよければ、何でもするんだな、と感じてしまうからです。

話の流れが、悲しい方向に行ってしまいました。

このアルバム、40年以上前の作品な訳ですが、誰もが「初めて聞いても懐かしい響きがする。」と言います。

「ボサノバを聞いてみたい。」と思われる方には、迷わずお薦めする一枚です。