「悩みのるつぼ」朝日新聞 be 2023.5.6.

 

相談:「夫にとって私は『名無し』妻」

相談者:女性 50代

 

回答:「名前を呼ばれないなら無視しては」

回答者:社会学者 上野千鶴子さん

 

相談内容:

夫が妻を呼ぶとき、名前、お母さんなどの

呼び名があると思うが、

どれも言われたことがない。

 

一度だけ、新婚の時に「ちょっと」と

呼ばれ、不愉快な思いをした記憶がある。

 

夫は息子に対しても同様。

息子が幼かった頃は「○○君」だったが、

中高生ごろから、それもなくなった。

 

大変穏やか、非常に控えめ、もの静か、

なおかつとてもシャイな夫で、

けんかは一切ない。

夫婦の会話はある。

 

夫の性格を知っているだけに

「名前で呼んで」と言ったことはなく、

諦めの気持ち。

 

でも夫は不便な様子。

少し大きな声で呼べば用事が済む距離でも、

呼びかけができないため、その都度、

私のところまで来ないといけない。

 

結婚30年、お見合いで知り合ったときから、

夫を「名前にさんづけ」で呼んでいる。

 

定年退職した夫は趣味やボランティア活動で

機嫌良く毎日を送っている。

これからも私は「名無し」のままなのかと

思うと、心が晴れない。

 

回答:

半世紀前のこと。

友人が指導教官の家庭を訪問し

驚愕の体験をしたと伝えてくれた。

 

その大先生、「ああ、これこれ」と

手を鳴らすと、「は~い」と妻が現れた。

当時すでに、それは若い世代にとって

驚きの目で受け止められていた。

 

「ちょっと」や「これこれ」で用が足りるのは

妻ではなく、使用人。

昔の妻は夫に敬語を使ってさえいた。

わたしの調査に寄れば、今時の夫婦では

夫に敬語を使う妻はゼロ。

 

あなたは長年にわたって、こういう習慣を

夫との間に作り上げてしまった。

でもこの歳になって、釈然としない思いがある。

あと30年、この状態を続けてよいのかと、

転機を迎えている。

 

「呼び掛けができないためにその都度妻のもとへ赴く」

不自由に耐える夫。ということは、

遠くから夫が掛ける声は無視しておられるようだ。

 

目の前にいようがいまいが、名前を呼ばれないなら、

自分に向かって言われているのでないと、

無視なさってはいかが?

 

子どもにだって、「水!」と言ってきたら、

「水がどうしたの? おかあさん、お水ちょうだい、と

言いなさい」と教育してきたのでは?

何を言われても、「は?今のは誰に向かっていったのかしら」と

聞こえないふりを。

家庭内コミュニケーションにも、

少々の演技力は必要。

 

名前を呼ぶかどうかは一事が万事。

これを機会に夫とのこれからの関係を

再調整したいと思っているなら、

その気持ちを正直に伝えること。

 

わたしにちゃんと向き合って。

そのために、まず名前を呼んで、と。

あなたを「名前にさんづけ」で呼んでいるのだから、

わたしにも同じようにしてよね、と。

 

これから夫が感じとるのは、妻の反逆。

そう、老後へのカウントダウン。

夫が寝たきりになったら、あなたのもとへ

動いていけないのだから、そのときに

「おーい」では応じない、と。

 

妻との関係に少しは緊張を感じてもらおう。

そのためにも、どんな呼び名で相手を呼ぶかは

変化のよいきっかけになる。

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電話相談では、半世紀前のことかと思うような

お悩みをよく聞きます。

 

ある日突然、どうにも耐えられなくなり、

ため込んだ思いが、あふれ出すのです。

 

例えるなら、生命保険が

満期になったようなこと。

時限爆弾が爆発した、とも言えます。

 

 

相談者さんは、「名無し」であることに

長年、不快感をもっておられ、

夫さんは、そのことに気づかないで過ごしてこられた。

不便さを感じるようになったいまが、

話し合いのチャンスですね。

 

例えば、子どもが生まれたとき、

お父さん、お母さん、パパ、ママ、

どういう呼び名にするかについて、

話し合うというのは、自然な流れのようですが、

それもなかったのでしょうか。

 

「ケンカは一切ない」に引っかかります。

「夫婦の会話はある」とは、

どういう会話でしょうか。

違いを理解し合うための対話は

あったのでしょうか。

事務的な伝達だけ、なんていうのは

夫婦の会話とはいえないでしょう。

仮面夫婦だったのでしょうか。

 

「ケンカもない」は、

相手の性格を考えて、自分の思いを

「些細なこと」と思うことにして、

ひたすら押さえ込んできた成果でしょうか。

 

以心伝心、夫婦だから、

言葉にしなくても伝わるというのは、

一種の思い込み。

 

言葉で伝えないと、気持ちは伝わりません。

長くいっしょに暮らしていても、

妻が何度も同じことを伝えたとしても、

まるで伝わってなかったという場合も

あります。

 

夫の側に受け皿ができていないのです。

受け皿、つまり聞く耳。

まず、聞く耳をつくりましょう。

小さなことから練習です。

 

遠回しではなく分からない人も多いので

はっきり、シンプルに伝えること。

 

「そのことのどこが問題?」と

キョトンとされるかもしれません。

 

夫さんの育ったご家庭では、

家族を名前で呼ぶことがなかったから、

そういう習慣がなかった。

 

あるいは、同居の祖母が母親のことを

呼び捨てにしていて、いやだった。

 

たから、妻を名前で呼ぶことに抵抗が

あった、ハードルが高い?

 

名前を呼ばれないことが、どれほど不快か

想像できないなら、夫さんを

名前で呼ぶことをやめてみませんか?

 

「シャイだから」以外の何らかの原因が

あるのかもしれません。

 

ところで、夫さんは、外の人に対しては、

名前で呼べているわけですか?

それも苦手かもしれませんが、

一番近いところから、

トレーニングしていきましょう。