気まずくなり、実家に家出。そんなこと、よくある話のようでもあり、大変なことをしでかしたようにも思う。取り合えず静観してくれている両親たちと子どもたちに、感謝している。自宅に戻るのをいつにするか、私が自分で決めるだけだ。


その日は寒かった。朝起きると母は不在で、父と弟の三人で朝食を食べた。「叔父さんがケガをしたんで、お母さんは病院に呼ばれたんだ」と、父はつぶやいた。私は中学生で、弟は小学生だった。本当のことを伝えなかった気持ちは分かる。私も、そうするだろう。

母が呼び出された時、もう叔父は亡くなっていた。事故で、即死。泥酔して危なっかしい様子だったので、心配して声を掛けたが間に合わなかったと、目撃者が証言した。

母と叔父は歳も近く、家も近所だった。下町育ちらしい、遠慮のないキッパリとした性格の叔父が、私は少し苦手だった。「そんなことでどうするんだ、世の中渡っていけないだろ?」今思うと、私を心配してくれたんだろう。そして、自分も思い悩んでいたんだろう。

弱音を吐くのを、恥と思う節があった。器用で、なんでもこなせるタイプだった。陽気で明るい末っ子で、みんなに愛されていた。どうして42才で死を選んだのか、今でも分からないし知りたいと、母は言う。

なにもかもが、いきなり過ぎた。子どもが二人いて、とても大切に、でも甘やかさず育てていた。親戚の私にまで、本音をぶつける人なんだ、おせっかい焼きだったんだ。亡くなる直前に妙にハイテンションだったと、後になってみんなで話した。そういえば、と私も思った。なにぶんこちらは中学生だったし、全部起こってからのことだった。

…人はいつかはなくなるし、覚悟も準備も出来ないことはあると思う。私がここ最近、酒や睡眠薬に頼ってきたのも、ちいさなことを積み重ねてしまったからだ。やり直したい、キレイでなくていい、自然な生活を取り戻したい、とは思う。


私は、子どもたちの元に帰るつもりだ。あの寒い日に叔父がみんなに残したものが、今もよく分からないけれど。ちゃんと帰れたら、それがメッセージを受け取ったことになるように思う。