「ちょっと、とむーん大丈夫?」
「うん…まだ、ちょっとね。ありがとう☆」

祖父の葬式が終わって最初の難題は、葬儀社への支払いだった。祖母にとっては利益の出る投資のつもりが、大赤字。自分の老後の資金では足りず、皆で出しあって補填した。祖母は体面を失い、命綱の貯金を放出した。そしてやっぱり、祖父がいない寂しさに疲れていった。「いったいどうして再婚したの?」と誰もに問われる夫婦だったが、お互いを必要としていたんだ。この後、祖母はゆっくり、確実に壊れていった。

広島氏の置き土産も、たいしたものだ。祖母の弟の娘婿は、仏壇屋さんだった。付き添いという名目で、営業。「半額にしますよ~身内割引で」他人やんか
祖父の実家にも、かつては仏壇があった。戦後まもなくに中川が決壊し、水害で流されちゃった。悪いけど、生きるので手一杯な時代だし。なるほど、半額でも仏壇一式売れたら、広島から二人で来た元は、充分とれる(宿泊費ロハだしな)
この仏壇は一周忌までうちにあって、それから葛飾の伯父の家に引き取られた。

祖父母の死ははじめてではないが、自分の家から人が亡くなるのが、どれほど辛いことか、私は分かってなかった。あの椅子、あの眼鏡、あの白金カイロ…思い出があふれて、落ち着くところを知らない。高齢で老衰で亡くなった。それは、分かる。それでもこれだけキツいんだ、もっと若く、もっといきなりなら、さらに苦しいのだろう。

祖父の遺品は、ゆっくり片付けた。古書はまとめて引き取ってもらった。一冊寄稿本が値がついて、出張鑑定代とトントンになった。数あっても、期待できない。古書って、そんなもん。

祖母が入院して、シロアリにやられた台所をリフォームするとき、天袋の奥から人骨が見つかった。満州に赴任する時、じいちゃんが勝手に分骨した、祖母の遺骨と位牌と写真だった。シベリア経由なので、輸送船沈没や中川決壊にも巻き込まれなかった。母が生まれてすぐに撮った家族写真。
「あぁ…似てるね……」
祖母の写真は、結婚式のと、娘時代のおすまし顔のスナップ(見合い写真に使うつもりっぽい。使う前につかまったわけだが)。それしか知らなかったけど、子どもに囲まれ割烹着の祖母は、明るく所帯染みて、今の母にそっくりだった。社長はそれ以来、枕元にこの遺骨と位牌を置いている。

しかしじいちゃん、勝手に分骨しちゃダメなんですよ!まったく、愛していたんだから。

カシミアのマフラーが出てきた。超虫食い状態。母が花のモチーフ編みを縫いつけて使った(達人!)冬の着物にひっかけていた、とんびという外套。明治生まれのくせに180cmの大男の服は、着る人もなく、さよならした。

ある日大学の授業で、高齢の男性がテーマの講義があった。私はすぐ耐えられなくなり、部室のソファで泣いていた。そして、決めた。最初に部室に来た人に、コーヒーをおごって話を聞いてもらおう。誰でもいい、30分時間をくれる人を、捕まえよう。しかし、早朝の部室は閑古鳥…なかなか、獲物は来なかった。

「先輩、どうしたんですか?!」

一年生か…運の悪い人だな、まだ入部して間もないのに、こんな罠が待ち構えてるとは。
「泣いてたの?」
「あのさぁ…よかったら君の時間、30分私にくれない?少し、誰かに話がしたかったんだ。用事があるなら、はっきり言ってね、次のターゲットをロックオンするだけだから」
「つきあいますよ」

私たちは、まだ営業してない学食で、缶コーヒーを飲んだ。6月も半ばで、暑くなる時期だった。もうすぐ、21歳になる。じいちゃんがあの椅子に、帰ってこなくても。
入りたての新入部員に、私は祖父の思い出を語った。涙は浮かぶけど、だんだん楽になる。話だけでも、聞いてくれる人がいてくれるんだ。ありがたいじゃないか。

「ごめん、ありがとう、楽になった。君がいてくれて、よかったよ」
「やだなぁ、僕と先輩は、公開デートした仲じゃないですか」
そう…こんなに大所帯の部活で、待ち構えていたら、気の毒な公開デート君をゲット。目黒駅前をうろうろした、よしみ。
「先輩に元気になってもらわないと、僕困りますから」

告白タイムの伏線は、こんなところにも。

私は…飲むなってのに飲むし、言うこと聞かねえ悪い孫だった。今でもあまり、よい親でもよい子でも、よい社会人でもないなぁ。思い出すよ、おじいちゃん。細かいことまで、けっこう覚えてるもんだ。その目に浮かぶ風景のために、今の自分が必要とされている気がする。