母方の祖父母が再婚したのは、私の母が20歳くらいの時だ。祖父は50代で5人子どもがいた。祖母は40代、その前にも子持ちの男性と結婚していたが、先立たれていた。祖父母も、祖母の先夫も、同じ会社の社員だった…

私は、今まさに40代です。時代が違うから今よりずっと、女性が男性中心の社会のなかで働き続けるのは、とても大変だっただろう。せっかくいい人を見つけたのに先立たれてしまい、今度こそは!と祖父と一緒になってくれた。それはとてもステキなことだし、家族にとって幸せなことだったのだと想いたい。

…つまり、あんまりそうは見られなかった、ということだ。あくまで、私の子どもの視点からで、ですが。

再婚した時、母の兄弟上三人は結婚し、孫もいた。母と、その弟の叔父が、祖父母の新居に同居した。

祖父は、理想主義者でロマンチストだった。酒と本に費やす、無頓着な家計管理が破綻しなかったのは、ひとえに祖母のおサイフ管理が徹底していたからだ。

もし今、歳上の子ども孫もいる男性に嫁ぐとしたら…どこまで、なにをするだろう。小さな子供を育てる家庭ではない。老後をゆっくり二人で過ごすための、再婚だったんだろう、たぶん。

そのためかな?以下は、私の母の言い分です。夫(祖父)の世話はともかく、自分と弟の生き方に口を出してきて閉口した。土日は家出してやり過ごした。実の親子でもありそうな話だけど、他人同士だからさらに仕方ない。早く結婚させて追い出したかった!母など、知らないうちに知らない人と婚約させられて結納まで決まっていたと、信じがたい事が起きたらしい。大喧嘩勃発。世の中には、血縁がなくても幸せな家庭がたくさんある。これは、残念だった例。

私にとっては、生まれた時からこの人が祖母で、戦争中に病死した祖母の形見は、輸送船が魚雷にやられ、日本海の藻屑となっていた。祖父母の結婚の写真は、田中のおばさんが大事にしていたのを、母がもらっていた。四歳だったから、なにも覚えていないのが不憫で、くれたんだって。とにかく仲よくやっててほしかったんだが…

祖父の葬儀に、自分の弟を広島から呼んだのも心細かったんだろう、祖母も。なにしろ母の兄弟の結束の固さはハンパない。しかもこっちは実子もなく、一人で敵陣に斬り込む気持ち。私も、敵視された。

広島の叔父の方言は、ドラマで見た通りの見事な「じゃけぇえ、のぅ」。今どき若い人はそこまでコテコテではないが、っていう。その人の娘婿という付き添いは、無口な中年男性だった。母はこの初対面氏を警戒し、私の身を案じて「夜の間は自分の部屋を出るな条例」を、緊急に施行した(出るなって言われても、私の部屋の襖戸なんて紙だから、その気になったらなんの役にも立たないだろう)。てきとうな仕出しを取って出したら、広島の叔父に「うまないなぁ」とか言われ、またプリプリ怒っていた。

葬式の朝、叔母さんが車を出してくれて、首都高にのった。赤いコンパクトカーだった。父と弟は、例の広島氏たちをハイヤーで送って行った。大変だったわね、と同情してくれたのをよいことに、母は愚痴三昧だった。もう、随分経つ。母の弟が、謎の死を遂げてから。享年42歳。大学から付き合っていた叔母も、双子のように育った母も、末息子を溺愛していた祖父も、哀しみが尽きることはないのか?と思うほど、泣き苦しんでいた。42歳をとっくに越えた今になっても、私には分からない。あなたは、自分でそれを決めたのか。それとも、自閉症の息子を、一生背負うつもりだったのか。

とにかく、祖父は叔父のところに逝った。これからは、また、親子一緒なんだ。