いくら一所懸命急いで帰ってきても、もう日が暮れていた。私の学生部活のありさまは、社長もよく知ってはいた。知ってはいたが、だから怒りが消えるってもんでもなかった。

おとなしく、しおらしく玄関をくぐった。コンパに出なかったから、お腹空いていたんで、なにか摘まんだ。母は走り回った後、ご自分のマグカップを手に、社長席に座った。

「あんたに言っても、仕方ないんだけどさぁ…」
これはグチだ、しかも重い。しかし、身内から葬式出すっていう日に、半日家を開けていたのは良いことではないから、足を揃えて黙って聞いた。
「…広島の叔父さんが、来るんだって」
「ヒロシマ?お祖母ちゃんの方の?」
「ばあちゃんの弟。心臓が悪いんで、娘婿が付き添ってくる」
ふ~ん、広島のねぇ。祖母は因島の農家の出身だが、東京の女子大を出て働き続けていた。長女で弟妹が多く、山梨に嫁いだ叔母はよく訪ねてくれた。信玄餅美味☆

「お祖母ちゃんが連絡したんだ、うちの亭主が亡くなったって。それで、お焼香しに来てくれるんだ」
ここで、社長の怒りが爆発した。短気な下町っ子の母だが、本当に怒った時は、地を這うようなドスの効いた声になる。
「…うちに泊まるんだ」
「この家に?だって葬式は亀戸のお寺でしょ、ここからだって車呼んで移動って… 心臓が悪いんなら、もっと近所のホテルに泊まった方が、ご本人も楽なんじゃ…」
「言ったわよ、言ったけど聞かないのよ、分かってないし分かろうともしないんだから!そんな他人行儀な、奥の座敷が空いてるだろ、そこに泊まればいいって、ばあちゃんも…」
もともと他人だもんなぁ…しかし、奥の座敷。十畳くらいあって、片付ければ広い。片付ければ。正月しか片付けない日常だし、今は五月の末、しかも先週からじいちゃんが入院して、誰も何もしていない。今朝片付けた、祖父の書斎の比ではない。その深奥の魔窟に、会ったこともない他人が泊まる…この一大事に。いや、一大事だからこそ、なんだけど。

「広島の叔父さんには、お母さん会ったことあるんでしょ?」
「あるよ、じいちゃんとばあちゃんが再婚したとき、一応両家顔合わせ、みたいのが。でも、もう30年も前だし、付き添いの人ってのは、見たことも聞いたこともないんだよ。でも、もう来るって決まっちゃったから仕方ない。明日は朝から、奥の大掃除だ。ああそうだ、あんたの式服も買わなきゃな。お金渡すから、店の人に聞いて、自分で買ってきてよ」
「そのつもりです、お金さえあれば」
でも結局、私の喪服以外にも買い物があって、母と一緒に買いに行った。この先しばらく、母はたいそう機嫌が悪かった。喜怒哀楽をはっきり出すタイプの人間で、悪気はないんだけど…暴言の人になるんでね。慣れてるし、身内に気を遣った物言いをするなんざ、あたしも性に合わない。つまるところ似た者同士だ、と、娘にはよく指摘されちゃうんだよな。子どもの頃は父親似で、あんな口から機関銃な母とは、血縁を感じなかったもんだが…

とにかく年に一度のインカレ大会が終わり、葬式モードに入らなきゃいけないが、世の中ってのは思いがけないことが起こるもんです。祖父の遺品の片付けは覚悟していたが、まさか初対面の他人が一つ屋根の下に泊まるとは。疲れがとれないまま、早起きして、弟と手分けして奥の大掃除。布団の脇から陶器の箸置きが出てきたり、ぶっちゃけあり得なかった。客用布団なんて、普段手入れしないし…いとこが手伝いに来てくれたと思う。みんなで文句言いながら、掃除した。

教訓:葬式は、掃除にはじまる。それから掃除があり、その後も掃除である。

お通夜では、お酌しながら、こっそりたらふく飲んだ。母は、とがめなかった。そんな暇なかったんだろうね、たぶん。