…雨?

いや、目覚まし時計か。7時にセットしておいたから。

眼鏡がないと何も出来ない、ド近眼な私は、無言の時計をにらみつけた。六時前。今日は土曜日。大学の授業は、ない。明らかに、午前五時代だ。鳴り続けるのは、電話。

緊急で、かつ不吉で、誰かが受話器を取るまで鳴り続ける意志が、これでもかっ!と、伝わってきた。

覚悟を決めて、電話に出た。隣の家の人(長屋式の住居で、隣人は他人)まで、起こしてしまう。相手は、母だった。

「誰?」
「とむだけど、お母さんどうしたの?」
「どうもこうもない、おじいちゃんが死んだ」

確か、雨が降っていた。パラパラと。

「…嘘」
「こんなウソついてどうするのよ、馬鹿な子だね!とにかく、葬式の準備だ、お父さんと弟を起こして、仕度させて。あたしまだ、病院で手続きがあるんだよ。それじゃ、またかけるから…」
呆然と電話を切ろうとしたら、ちょっと待ったーっ!と、叫んできた。お母さん、そこは病院、しかも起床前。いくらロビーの公衆電話からとはいえ、ちょっとはしたなかった。
「急に呼ばれて来たから、手帳忘れちゃって。葛飾の伯父さんの電話番号、言ってよ。あの人から、みんなに知らせてもらうからさ」

壁にかかった電話番号表から、伯父の番号を読み上げた。そうだそうだ、実家の番号だから間違いないとは思ったけど、朝早いから念のために聞いたんだ。そう、早口で言い訳していた。

「今夜がお通夜で、明日が告別式になると思う。お寺さん次第だけど。みんな起こして、なんか食べておいて」

社長は、いつも以上に思い切り電話を切った。実の父親が亡くなった報告の電話でさえ、母はどうしようもなく、下町育ちのチャキチャキの江戸っ子であった。

…おじいちゃんが、死んだ……

私はすぐ、弟と父をたたき起こし事態を告げ、待機を指示されていると伝言した。そういや聞いてなかったが、祖母も病院に行っていた。祖父は駅前の総合病院に入院していた。あの仲の悪い継母と継子が、霊安室で二人きり。という光景は、コントっぽい(笑い事じゃないって)近所の店は、まだ開いてないだろうな…お母さんたち、朝ごはんは、どうすんだろう?取りあえず、人の心配より、自分の飯だ。買い置きのパンとかシリアルとか、適当に食べた。

「とむーんは、何を着るんだ?」
父に聞かれて、私はうなった。私はその時、大学三年生。入学式で着たスーツは、全然礼服じゃない。参ったなぁ。弟は高校生だから、学ラン着ていけばいいんだが。
「駅前の店で、吊しの奴を買うよ。とにかくお母さんに聞かないと、あたしお金持ってないし。お母さんたちまだ病院でいろいろあるんだって。伯父さんたちも、車だからすぐ来るだろうけど。掃除、しておく?」

父が、なんと答えたか覚えていない。父は無類の掃除嫌いで、居室はサルマタケな日常だ。とにかく、不祝儀は大変だってことだけは、経験上分かっていた。父の両親・私の父方の祖父母の葬儀を思い出した…あの時も大変だったもん。雨か… 雨だと、手間が増えるんだよね。焼香にいらした人の傘の管理とか、手荷物を濡らさないようにとか、足元を気をつけてください、とか。

じいちゃんが、逝ってしまった…もう、あの安楽椅子に座ることは、ない。あの世とはいわなくても、もうこの世の人じゃない。もう、話せない。もう、生きてない。もう、かえってこない

母からの次なる指示を待ちながら、喪服以外にも私には懸案事項があった。

大事な大会の当日なんだよ、今日は!

嗚呼、おじいちゃん。大好きな大好きなおじいちゃんを、力いっぱい見送りたい。なのに、なんでまた、今日という日に逝っちゃったのかなぁ……

それは、わたくしの日ごろの行いがよろしくなかった。から?

198×年5月下旬。長い一日が、始まったところだった。