さて。

生家の信仰である、キリスト教プロテスタント(新教)に我が身をゆだねるったって、これが簡単に進む話だったら、いくら私がボンヤリさんでも四十年も無為に過ごしたりしないさ。大変なのよ、これが~

そもそも、主を信じるカトリックが始まったのはかなり昔。ところが悲しいかな、時代と信者数としきたりの中で、どうにも堕落しちゃう人も現れるわけだ免罪符。んで


「なにやってんの!神を信じるって、そういうことじゃないっしょ…断固、抗議する!」


てなわけで生まれたのが、プロテスタント(抗議する)。信仰のしきたりはカトリックの方が複雑だが、なにしろ血の抗争から始まった新教は、その一徹さたるやマジ半端ない。まさに、性別問題と闘い続けてきたわたくしめには、うってつけ(自己評価です)

その性質ゆえに、あっちこっちで自然発生的に始まった抵抗宗教だから、それぞれの会派の細かい方針の差が、あーしてこーしてます。もはや同じプロテスタントと、ひとっからげに出来ないほど。字義的に解釈してご無体な皆さんとか、他者を認めない閉鎖的な連中とか。

こういう場合当然、実家の信仰に準ずるのが、吉である。一応、祖母の実家の関係者が続けているプロテスタントの団体があるようだが、実家の両親がまったく全然関わっていないのがちょっと。両親は、自分たちの葬式を頼む牧師さんは決めているらしい。遠方の私は当てにならないが、弟には話をちゃんと通しておいてくれ…


祖父母が存命の間は、一定の教会に通う仕組みにしなかったようだ、転居が多くて。家庭的な雰囲気でこじんまりと、懇意の牧師さまと仲良くやっているうちはいいんだけど。その宣教師さんや牧師さんになにごとか起きると、もうそれっきり絶滅。そりゃ、大教会に属したりも、あれでこれでだし。なんにせよ組織ってもんには、ゴタゴタがつきものです。

結論:私はしばらく、子どもたちの通っていた幼稚園の教会に、お世話になろうと考えてます。とにかく六年間通って、勝手は知っているし。考え方には、同意できるところが多い。うまく行くかどうかは、分からないけどね…私の伯母は、あちこちの教会を転々とした結果、なんとカトリックに改宗したんだって。もともと私の祖母(この伯母の実母)はカトリックの家に生まれ、幼児洗礼も済ました後で、プロテスタントを自分で選んだ。伯母としては、実母のルーツに戻ったってことらしいんだけど…

みんな、それぞれだね~

とにかく、私の両親と弟はプロテスタントの簡素な見送りを希望している。父方のいとこたち一家も、そうなんだろう、まだ確認してないんですが。

私も讃美歌でおくられたいんだけどなぁ…
この辺は、今後の私の根回し能力にかかってくるだろう。ま、子どもたちは幼稚園で三年間ずつガッチリ教え込まれてきたから、理解はしてくれるだろうな。本当に、信仰は個人と神さまとの問題。私以外の人に、迷惑かからない方向に持っていきたい。そこは私の根回し能力の…

牧師先生とのお笑い再会話は、また別の機会に。

信仰も性別も趣味も家族も、私の一部だけど、全部じゃないです。人間て、複雑にできてます(ことにわたくしは)