私は、自慢したいわけではない。我が子の不登校に習熟し、支援機関や対応策各種に詳しいなんて、まったく嬉しくない!

でも、子どもを責めたくない。学校にも、よくしてもらっている。わたしたち親も、努力している。でも、実際に学校に行けない。行かないや行く気がしないことで、学校や先生や社会に反抗しているわけではない。

下の子は小学生、にしてはデカイ(親譲り)。夏休み一回目の登校日あたりから、ちょっと様子が変わってきた。嫌~な経験則にしたがって。二回目の登校日に行かなかったから、私は「あぁ、上の子の時のアレが再来ね…」と納得。ところがところが、同じアスペルガーの体験者たる配偶者は、子どもが学校に行けない事実を全然受け止めてなくて。本人至極真面目なんだが、その場にそぐわない、現実的ではない提案ばかりする。どれもアイデアとしては面白いんだが…ここは「手作り工作教室」じゃないんだ、楽しくてふわふわした企画ばかり出してどうする気だ、バカ野郎!

…失礼。そうこうして、不登校一週間が経過。状況に変化なし。上の子の不登校にはさんざん振り回された。初めてのことで、不登校者に言ってはよくないこと、やってはこじれることばかりやっちまった。いま、私にできることは、ゆっくり見守り、いつでも教室に戻れるように、しっかり支援すること。言葉で書くとらくちんだが、そう簡単には進まないんだ、これが。

受験生もいる。うつ病もいる。猫もいる(?)せっかく里帰りしてガス抜きしたのに、またストレスだ。

担任と話す。原因不明、治療法なし。しかし、分かっていることは、静観と同時に積極的関与を、子ども自身に持ち続けること。この二律背反っぽい姿勢を私たちは、とって行く必要がある。不登校は、病気でもなく不良でもない。自閉スペクトラム症の二次障害には、よくある事実。下の子は私とは異性にあたり、思春期で第二次性徴期なので、上の子の時とは違う。そもそも、同じ親から生まれても、別の人間。どんなに、似ていても。

アルコールが手招きする。私はその誘惑に屈し、つかの間の快楽に身をゆだねる。どこかで、誰かの声がする。おまえには、夢があったんじゃないか?

夢?

血を分けた子ども以上の、大切なものが?

…不登校になる度、思い知らされる。子どもは、自分とは別の人生を歩んでいると。親の言うことを聞く良い子ではなく、自分で生きていく人間と、いまは共に生きている。巣立ちを助けるだけなんだよ親は、と。

自分が そうであった ように

不登校の12万人の人よ、その家族よ
私に見えない力を貸してくれ。私も、貸そう。そして、それでも私は。悲劇ぶらずに、守り続ける、私の小さな夢のともしびを。ほかに、なにも示すことができない。
だから、私を守ってほしい。

つまづき、あやまちをくりかえすから

にんげん だから