なつかしいわが家に帰ってきた。


玄関脇に、リンゴの木が。えっ?

そびえる、という言葉がふさわしい。二階の屋根までとどいている。おかしいな~去年も帰ってきたけど、こんなだったか。鉢植えの、ひょろい苗木は知っていたけど。

「四~五年前に土におろして、去年から実が生り始めてさ」
「食べられますか?」
「食べられません」
「…分かりました」

あれだな、よその家の子はいつの間にか大きくなってるってやつだ。うん。

父はすぐ風呂に入った。そのタイミング?と思ったら、私に一番風呂を使わせたいために、前日の湯を落としてくれたらしい。この家には、こうして改めて解説が必要なルールがたくさんある。住みやすいように、住人たちが常識にとらわれず設定しているのだ。はたから見るとたぶんに「非常識」かつ風変わりに見えるが、かまわない。誰かに迷惑かけてるんじゃなきゃ。


居間で、近況を話す。母は夕食の準備。お茶の催促をしないと、何も出て来ない。客人がめったに来ない、きわめて客あしらいのよろしくない家族なんだ。夕食の支度…他人の家の台所は、使いにくいぜ。

「去年帰って来たのに、今年も帰って来て、すいません」
「べつに、おかまいしませんから」
「当然です、自分の世話は自分でします」

この実家には、3歳から11歳までと、19歳から25歳まで住んでいた。その間は、同じ町内の借家に暮らしていた。

ご町内でうろうろしていた理由。そもそもこの家は、祖母が買ったものだった。60年くらい前。その後、祖父(亡妻との間に子供五人)と祖母(先夫と死別・実子いない)が再婚したので、母と叔父が、このステップマザーの家で気まずい独身生活を過ごした。
「やってられっか、こんな家、出ていってやる!」

ところが。私が生まれてしばらく後、父の勤務先は倒産。しかも負債を父に押しつけ、社長はトンズラ…そゆわけで、出戻りじゃなくサザエさんとマスオさん。台所は完全分離。よるとさわるとケンカ万歳な、相性の悪い継母と継子の顔色を見ながら、私と弟は育った。が、私がうっかりぼんやりしているもんだから祖母の癇に障り
「そんな気の利かない調子じゃあ、農家の子だったら飢え死にしてるよ!」
「ここは農家ではありません!」

ゴタゴタあって別居。親子四人水入らずって、正直スッキリさっぱりでした!しかし祖父は大好きだし高齢で心配、そのうち祖母がボヤを出して母に詫びを入れて来て、再同居したのがわたくし大学一年生の夏。母は、とにかく筋を通した!と喜んでいた。ほらね、筋を通すってことにかけちゃあ、その筋並の気合いなんだ命懸けなんだ、母も私も(泣)


弟の誕生パーティーを開くことになった。四十過ぎてなぁ…と弟はどっちでもいい、という口ぶりだが、こんな夏の暑い時期には、めったに帰らん私。やろうお祝い!お祭りごころに火がついた!!

夏だけど、暑くはなかった…私が、熱いだけだった。つづく