睡眠障害がどれほど辛いものかは、なった人にしか分からないのだろうか?眠りが、自然に訪れていたころに、もう二度と戻ることはないのか?

では、わたしが結婚しカサンドラになった話。大学三年時に相方と交際するも、相方のレベルについていけなくて…嘘、アスペルガーの知識がなく、その振る舞いに疲弊しきって別れた。

大学四年生は、就職や卒業準備など、暇になる間はない。なかばヤケになったまま、部活の大会にも申し込みした。結果的にはよかったんだけど。自分は、忙しくしているときが、一番やりがいを感じる。
卒業し社会人になり、一日の大半を占めていた部活からも、一応離れた。お給料で個人レッスンを受け始めたし、インカレの卒業グループにも参加した。もちろん団体イヤな相方は来ては居ない。

大学もインカレも、卒業しちゃうと(とりあえず)関係なく、好きにしていいよと言われて、かえって困ってしまった。

相方とはきっちり別れていたけれど、やはり特別好きだし、できれば友だちに戻りたかった。幸せなら、そっとしておこう。でも…
でも、もしパートナーがいないなら、今度こそ一生側にいよう。まだカサンドラ症候群という言葉はなかったけれど、相方がアスペルガーなことは本人も認めていた。いろいろな奇行が、腑に落ちた。わたしも、同性愛者だとカミングアウト。
「…自分以外の異性と浮気しなければ、なにを考えてもかまわない」
う~ん。いたわりの、あるようなないような言葉ですねぇ。同性だって浮気は浮気だろ!いいのかよ、それで…

自分でも、どうしてはじめから問題を感じていた結婚に踏み切ったのか。一度別れた時に生じた諸々の事情は、必ずそのうちにもどってくるとは考えなかったのか。子どもが生まれたらきっと障害が遺伝し、本人も自分も、人には分からない苦労を背負うだろうこと。そして、アスペルガーはけっして治ることのない欠損で、その穴をうまく埋めて、丁寧に扱って生きるのは、本人ではなく夫婦となるわたしの命題になるのだということが。

わたしたちは、若かった。若さには勢いがあった。お金はなかったが(笑)
アスペルガー特有の孤独癖で、自分自身縛られるのが大嫌いな伴侶に…確かにわたしは縛られなかった。いつも自由な発想を許してもらった。家庭は主にわたしが主導権を握り、相方には適宜指示を出した。

長年住み慣れた実家を離れる。仕事もやめる。部活も本当に卒業。すべてとお別れだ。だから結婚式は、今生の別れの会にした。つまり葬式だった。この日が死に別れになった親戚が三人いる。あの日、無理を言って列席いただいて、本当によかった。

実家を離れていることなら、相方も事情は変わらないと、いつでも言われる。ただ、わたしは正社員を退職し、相方の扶養家族になった。二人の人間が一ヵ所で住むためには、歩みよるしかない。この場合は、わたしが全部捨ててきた。でも、全部捨ててきたということ自体、理解しにくいのがたぶん、相方の障害なんだと思う。どうして?なんで?また、帰ればいいでしょ?

家庭を構えて、それを維持するとはどういうことなのか…年月が相方を変えるかもしれない。その時は、そんな甘い考えを持っていた。持っていたから、そんな大胆な結婚を決行しちゃったんだなぁ。お互い障害者で、健常者には分からない苦しみを支え合えると、本気で思っていた。実際には、共依存どころかあっちが甘えて頼ってくるのを全面的に受け止める当番(もちろん当番を誰かが代わってくれる日は来ない)

性同一性障害で世界や社会に拒まれ、拒んできたわたしには、変な強さがある。だからいつも、その強さを持たない人が寄ってくる。自分が持てなかった、その依存心がキラキラ光って、大切に思えた。相方を守ることが、自分の人生だと思い込んだ。

その日、共に歩むと誓いをたて、披露した晴れの結婚式。わたしはそれまでの名をすて、本当にカサンドラとして生きる道に踏み出した。