大学生活の四年間で分かったことは、やっぱり自分は自分なのだ、ということでした。たくさんの人に接し、いろいろな物を見聞きしたら、自分は変わるかもしれない。確かに、少しは論理的な時物の処理に慣れた。しかしそれが、どうしても大学でなければならなかったのか?社会人になっても経験できることだったんじゃあ?
ま、親には悪いけど、トランスジェンダーは更なる深みに至ったのよ実際。

大学では、渉外担当。高校からこの部活やっていて、その当時もインターハイっぽいことは、あった。大学もインカレに所属していたんで、親譲りの無鉄砲から出入りはじめました。損ばかりしてるんだよ、わたしは…。

相方に初めて会った日を、わたしは覚えていない。同じ大学の奴に「インカレに面白い人がいる」って聞いていた。噂は流れていたが、なかなか顔をみせない。相方はインカレ苦手で逃げ回っていたんだ。しかしまぁ、同好の部活の団体組織はあって、あるからには連絡事項もあって、連絡で集まりゃまたしても男女混合でワイワイで。

わたしが…いつだか忘れた、ハタチ前後で現在の伴侶に会った時。日時は忘れたが、はっきりと印象に残った。

この人は 他の人とは ちがう

生まれてこの方、性同一性障害で有形無形の差別を実感してきたわたしには、分かった。その人が、普通ではないことが。むしろ、なぜみんな気付かないのか、そっちが不思議だった。

同級生の発言は正確だった。わたしの配偶者は、アスペルガー症候群で発達障害だった。いや、結婚したのは知り合ってから五~六年後だけど。この、発達障害の中ではASD・自閉症スペクトラムと分類されるアスペルガーは、こういう障害の中ではあまり知的障害は出ないし、薬物治療というのもないことが多い。大人になっても気付かれないケースが、ままある。ただ、見た目では分からないので精神疾患として丁寧に扱うべき時も、うまくいかず二次障害を発症することがある、すごく頻繁に。

それでも…これもアスペルガー特有の個人主義的姿勢のおかげで、わたしのトランスジェンダーも受け止めてもらえた?分かってないんだよ、多分。発達障害を差別するつもりは、ない。差別された人間は、差別したくても出来ないよ、そんなの!なんのために生まれてきたんだよ?

性同一性障害のわたしが、発達障害の人と結婚し、発達障害の子どもを持ち、典型的なカサンドラ症候群になり…酒に溺れ、精神を病み、三途の川の手前でかろうじて帰ってきたいきさつを、これからは書いていく予定です~