検索してみると、LGBT な人のブログもたくさんありますね。とてもはげみになります。わたしは文章を書かないと死んでしまう魚類みたいな性質で、これまでもたえずブログはやってました。ここしばらく、声をあげる場所がなくて辛かった。

さて、今を去ること三十年ほど前、わたしは大学に入りました。学費を払うからには、きっとみんな何か目的を持って入学するんだと思う。わたしは…具体的な職業選択は考えていませんでしたが、まだまだ勉強したい、とは思ってました。1980~90年代の大学って、あらためて言わなきゃいけないほど「勉強嫌い」の学生がいて、愕然としたよ。確かに試験やレポートは簡単じゃないけど、イヤなら来るな、って具合。

バブル景気華やかなりし時代の恩恵を、我々がミジンコも受けなかったのは、ひとえに部活のおかげでした。サークルじゃなく、学校公認の部活動。これは全然自慢とかではなく、公式団体って本当に大変なんですよマジ!確かに部室とか学校の施設利用とか優遇されるけど、活動報告や部員名簿の提出、経費の領収書のとりまとめ…前述の通り根っから自由人のわたしにとっては面倒~と思うことばかり。でも必要があることは受け継いで、ナンセンス!と思うことは廃止したよ。

その頃のわたしは、さすがに同性といても普通に過ごし、異性に対してはマナーを守るように心がけていました。マイノリティが声をあげて得することなんて、全然ない
風潮だった。しかしだよ…疲れたり酒が入るとね…同性への対応がぎこちなくなったり、異性への接し方がなれなれしくなったりして反省した頻繁に(笑)

そういうわりと硬めな(しかもノミニュケーション主義)ところで、自分なりの筋を通そうと、もがいた。朝から晩まで、ことによると何日も顔付き合わせてさ。そうなると…いかに私がLGBTだろうと、非モテ系だろうと、ハタチ前後の男女がひとつ屋根の下でガヤガヤしてたら、まぁ惚れたはれたのくだりを逃れるのはすっごく困難なのです。あらためて言うけど、これ本当に自慢とか過去のコイバナに陶酔ってわけではなく。LGBT なわたしがその時どうしたか、ということがなんらかのメッセージ?として伝わるかな、という試みっつーか自己分析っていうかひとりカウンセリングっていうか。