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テレビで楽しむプロ野球

テレビで野球観戦し続けることウン10年のプロ野球ファン。CS放送以外のジャイアンツ戦は全て録画してでも観戦しています。日々の観戦ノートを元に、1カードにつき1記事ぐらい、書いています。

 画家の蛯子真理央氏が、作品創作について語りました。造形を意識して描くようにならないように、ならないように、と気にかけるようにしている。衝動を描かなければならない、と。大事なのは、最終形の色彩や構図のバランスや美しさを考えることなんかではない。そこをゴールにキャンバスに向かってはいけないのです。自分に筆を握らせ走らせようと、涌き起こり揺り動かす思いの力によって描くべき。そういう意味だと捉えられます。
 ここで思い浮かぶ野球選手のエピソードがあります。完全試合を達成した槙原寛己氏の話。あの試合の前にたまたま彼は、夭逝した津田恒美氏のドキュメンタリー番組を見たそうです。そして、今こうして野球をプレイできる喜び、マウンドで投げることのできる幸せを、彼の分も感じて自分は試合に臨まなければ。そう感じたと言います。まず強い思いが先にあって、その結果として稀なる大記録が生まれた、というわけです。(余談としては、門限破りを諌められての奮起説もありますが。)
 再び話を絵に戻します。では、静物画が描かれる衝動とは何なのでしょう。テープルに置かれた果物や食器。そんなモノたちから衝動というものが得られるのでしょうか。不躾な質問に、蛯子真理央氏はていねいに教えてくれました。衝動は、小瓶やポットから感じるのではない。それらの静物たちが並んだことによって携える光と陰に衝き動かされるのだ、と。描こうとしているのは、静物そのものではなかったのです。並んでいるそれらの合間や背景や脇の空間に存在しているものだったのです。静物画といはいうものの、静物そのものに目を奪われていては、大切なものを見落としてしまうといえます。
 ここでも思い浮か野球選手の話があります。ある年、不調に陥ったイチロー選手は凡打が続いていました。この日も凡退。記録はショートゴロでアウト。けれども、後日、イチロー選手は明かしました。あれは、復調の大きな手応えを自分自身で感じることのできた非常に内容のあるゴロだった、と。公式記録として、スコアブック上ではショートゴロだったけれども、その実はまったく意味の違う打球だったというわけです。
 絵画も野球も、見た目や結果はあくまで表層であって、その裏側や向こう側にドラマや感動が潜んでいる。そんな共通点があるようです。
※10年以上前に書いた記事です。珍しく真面目タッチ。
 ピッチャーの球のキレや速さだとか、配球の妙技、放った打球の鋭さや飛距離、ファインプレイやクロスプレイ、そして、劇的な試合展開…。野球の見どころ、感動しどころは数多くあります。けれども、アテネ五輪アジア予選での3連戦では、そのどれともいえないような「部分」に、わたしは鳥肌が立ちました。
 最初に鳥肌が立ったのは、宮本選手がファーストベースへとヘッドスライディングした瞬間、彼の身体の一部に対してでした。地味ながら堅実なプレイで知られる宮本選手がヘッドスライディングを試みること自体、意外で胸に迫るものがあるシーンといえます。けれども、それよりも、ヘッドスライディングをしたときの彼の「腕の伸び」にわたしは驚嘆しました。ただ単にファーストベース目指し伸ばされた腕、という伸びではなかったからです。身体の中心からすべての神経や力や魂のようなものが、ただひたすらに手先指先へと瞬時に集まった、まるで堅固な意志を備えた腕。ぐーっと伸び切り一瞬異様な長ささえ感じさせた腕のラインが、茶色く舞った砂ぼこりの向こうをすべるのが垣間見えたのです。
 アウトにはなってしまったのですが、高橋由選手が内野ゴロ時に見せたファーストベース間際の走りにも、はっとさせられました。ベースを踏むために最後の一歩として彼が振り出した「右足の角度」の大きさ。後ろ足になる左足との角度は、横からみると180度に近い開きを示し、ユニフォームにしわの陰影はなくピーンと張っていたように見えました。100分の1秒を競う短距離ランナーたちがゴール時にみせる肩の動きを彷彿させる、最後の最後に振り絞った力が注ぎ込まれた精いっぱいの広がりを感じる足の角度でした。
 フェンスに激突しながらの福留選手のジャンピングキャッチは、誰がみてもしびれるファインプレイだったのではないでしょうか。このときの彼の「左足のしなり」の強さと大きさに、わたしは目を奪われました。ボールを空中でキャッチした直後に福留選手の身体はフェンスに激突したのですが、力いっぱいジャンプした反作用とフェンスにぶつかった衝撃による反動があいまったためだと思われます。福留選手の左足は腹部を通り越し頭の方へと前方上にポーンと容赦なくしなったのです。おでこに足が触れるぐらいに。交通事故による衝撃度を計る実験時の人体模型の反動を思いおこさせる勢いに、この瞬間的なプレイに彼が費したエネルギーの大きさを目の当たりにしたような気がました。
このように、プレイそのものではなく、プレイ時に生じる身体各部が作り出す「瞬間的なライン」に、息をのむような感覚がわき上がったのは、アテネ五輪アジア予選での観戦がわたしにとって初めとなりました。シーズン中のゲーム観戦では得ることのなかった感覚です。
「緊張で寝つけなかった」「今までにないプレッシャーを感じた」と後日選手たちが語っていたように、「For The Flag」の重圧が選手たちに緊迫感と集中力を与え、ひとつひとつのプレイに対する意識をシーズン中とは違うものに変えさせたのは明らかです。そのうえ、ペナントレースは140試合という長丁場であることに対して、アジア予選はたったの3試合。身体エネルギーの配分や精神的集中度を考えてみても、プロ選手たちの、極限に達した能力の発露が、3連戦には凝縮されていたと考えることができます。だからこそ、初めて感じることのできた鳥肌の立つ瞬間だったのかもしれません。
主将の宮本選手は予選前、オリンピック常連だったアマチュアのエース、杉浦正則投手に電話で、(アマチュア出場の場を奪ってしまい)すまないという言葉と勝利の誓いを伝えたと、スポーツ紙が伝えていました。この記事が匂わせている選抜選手たちの心持ちも、鳥肌の立つ瞬間を作り出させた要因だったのではないでしょうか。オリンピックへのプロ、アマの出場形態については、双方の選手たちの感情に複雑な部分があることは確かです。けれども、アジア予選においてプロ選抜選手たちがみせた一挙手一投足の「瞬間的なライン」を目にするにつけ、予選出場を果たせなかったアマチュア選手たちは、少なくともこう感じることができたのではないでしょうか。彼らは自分たちのスピリットを体現してくれている、と。
 日本シリーズ第7戦、スコアは3-0、9回裏、2アウトランナー1・3塁。原監督は代打に矢野選手を送りました。この場面、矢野選手ではなく、谷選手の代打を告げて欲しかったと私は思うのです。
 確かに、矢野選手の今シーズンの代打打率は3割5分以上。代打安打の球団新記録もつくりました。チャンスでの強さが際立ち、得点圏打率も約3割5分、満塁では4割5分超え。期待できる実績を持つ打者だといえます。それよりなにより、彼は、闘志をみなぎらせ、気合いやハングリー精神を武器に、どちらかといえば技術よりも気持ちで打つ選手。心技体で言うなら、心の比重が高いといえます。場面の重要性、シリーズの土壇場、相手はエース、という状況を考えても、彼の心の炎をメラメラ強める舞台設定に申し分ありません。データ的にも、打者のタイプとしても、矢野選手の代打は正しい判断だといえます。
 いっぽう、球場の空気、試合の流れはどうだったか。マウンドにはマー君。前日にも完投したピッチャーがまた投げるなんて、前代未聞。前年から公式戦とポストシーズン30連勝という大記録を樹立したピッチャーが、ついに好投叶わず土をつけられてのリベンジマウンド。元々気持ちを全面に出して投げるマー君の気合いはフルマックスだったはずです。
 そんなマー君がベンチ入りしているというだけで、スタジアムのムードはイーグスへの強い風向き。日本全国、球場外からもそんな風は吹き込んでいたはず。大リーグ移籍も確実視されていたため日本で最後のマー君のマウンドになるという可能性の高さも後押し。東北楽天イーグルスは初の日本シリーズ進出ですから、地元ファンの思いは当然ながら熱い。震災復興へのさまざまな思いもグラウンドに注がれていることは言うまでもありません。
 そして、「闘将」「燃える」という枕詞を持つ星野監督の様子も、枕詞が恐縮するほどでした。9回にピッチャー交代を告げる時のこと。審判に名前をただ伝えるのでなく、名前を吠えていました。胸に飽和していた気迫をグラウンドで吐き出していたように、テレビ画面では見えました。
 ですから、この時この瞬間に球場全体をすっぽり覆い包んでいた、イーグルス側のたくさん重なり合った思いの深みと重みと強さときたら尋常ではなかったのです。いくら気持ちで打つ、闘志をみなぎらせて打つ、気合いで打つタイプの矢野選手であっても、この空間内に限っては非力。到底それらを跳ね返す力は持ち得なかった。というより、このような相手側の底知れない思いに対して、気持ちで真っ向勝負できるような選手なんて見あたらないのではないでしょうか。
 この場面、真っ向勝負でジャイアンツに勝ち目はないことは明らかだったのです。
 だからこそ、ここは代打・谷を選択すべきだった。代打・谷が見たかった、と私は思うのです。彼も、もちろん気持ちで打つことのできるタイプです。キムタク追悼ゲームでの逆転満塁ホームランはまさにそれのなせる1本。けれども、彼の神髄は、冷静かつしなやかなバッティング技術にこそあるのではないでしょうか。ジャイアンツに移籍後、代打業が増えてその技術はさらに精緻に磨かれた気がしてなりません。底知れぬ思いに対しては思いをぶつけるのではなく、精巧な技術で挑む。メンタルに対してテクニックで対決すべきだったと思うのです。メンタル礼讃の昨今、テクニックの力を谷選手に見せつけて欲しかった。結果はどうであれ勝負そのものを見たかった。

 前日の日本シリーズ6戦目、ジャイアンツはマー君に黒星を付けました。これで流れが一気にジャイアンツへと傾いたとみる話も出ていました。微塵もそんな気がしないだけではなく、むしろイヤ~な予感がムクムク。
 そんなムクムクを抱いたジャイアンツファンは、きっと見ていたはず。6戦目の5回に同点から逆転への流れをつないだヒットを打った寺内、タイムリーの吉伸。勝利を盛り上げた2人に対してマー君が、最終回の対決では安打を浴びた球を投じて2人とも空振り三振に仕留めたシーンを。ぴしりと最後をしめくくってマウンドを降りた時の、彼の表情あの表情。厳めしさと凛々しさと堂々しさ。
 スコアという数字上ではジャイアンツは勝利したというのに、勝った気がまったくもって感じられませんでした。あのゲームセットの余韻のときたらありません。ムクムク予感も生じるというもの。
 結果論ですが、この前日ゲームセットの時点で、翌日の代打・谷を決めておいてほしかったと、身勝手に悔やむのです。ヤンキース、オリックスへとそれぞれが移籍して2人の対決が不可能となったいま、特に、いちだんと。