突然日本語で「ここ好き」と言ったポーちゃん | 渡邊津弓のイトオシイ毎日☆

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3年ほど前のこと。

4人姉妹がまだ3人姉妹で
このポーちゃんは
末っ子だった。

2歳になろうとしてたが
警戒心が強く
私に笑いかけることもない
言葉を話すのを聞いたこともなかった。

そろそろ来日2年目になろうとしていた。
ミャンマーの家族の多くが
日本の生活の厳しい現実を体感し
「帰りたい」と、親たちが訴えてくることが
しばしばあった。

この家族もそう。
恐らく、親がそうしむけたのだろうと
想像しているが、この家の長女が
急に私に言った
「ねえ、帰りたい。おばあちゃんに会いたい」
そばで、母親も私の返事を待っている。
私は困りつつ、ほぼマニュアル化した説明を
子どもであっても手を抜かずする。

日本政府は、日本のことしか
助けることはできないの。
帰れるかどうかは、日本政府には
わからない。その国が決めるんだよ。

以前、母親に説明したのと
同じことを繰り返した。

長女は、一瞬動きを止めたが
理解できず
まるで私の発言がなかったかのように
言い続ける。

「帰りたい。私、ここ嫌いっ!」
自分が嫌いと言われたように
今度は私が凍ったが
すぐさま、別の声がポーンと飛んできた。

「私、ここ好き。」

長女も母親も私も
驚いて声の方を見た。
さっきまで黙ってテレビ画面を見ていた
3女のポーちゃんが
首をこちらにねじって
私たちを見ていた。

私は喜びで声を弾ませて聞いた。
「ここ、好きなの?」
「うん」
また、はっきりと低めの大人びた声で
ポーちゃんが私を見て言う。

私は鬼の首でも取ったように
長女と母親に言う
「ポーちゃん、ここ好きだって!」

長女も母親も、末っ子のポーちゃんに
きっぱり言われて、
言葉を無くしていた。

長女と違って
1歳で来日したポーちゃんには
日本以外の国の記憶はない。
まだ来日1年目でも
保育所のお友だちや先生
この大きな団地の一室が
大事な居場所になっていた。

ポーちゃんがはっきり日本語を話すのを
私はこの時初めて聞いた。
しかも、ここ好き。とは。

彼らの帰りたい気持ちは
痛いほどわかったが
自分の国を嫌がられると
動揺するものだ。

この時、私はポーちゃんの声が、
天から降りてきた神の声に
思えた。

今、このポーちゃんは5歳。
お姉ちゃんにもなり、
妹に優しくしてみたり
2番目のお姉ちゃんに
抵抗してみたり、元気で利口な
女の子に育ってます。