立川談慶さんの文 楽しみに待っていました。

映画「碁盤斬り」

ますます 楽しみになりました。

 

X情報です。

 

 

↓こちらです。

「今の時代には合わない」と嫌っていた…落語家・立川談志が「柳田格之進」を死ぬまで口演しなかった理由 (msn.com)

 

 

 

映画「碁盤斬り」より

 

 

 

ヅラをかぶりました

この度、映画に出演することになりました。

落語「柳田格之進」をもとにした「碁盤斬り」(監督・白石和彌 主演・草彅剛)です。

 

この映画の脚本を務めた加藤正人氏とは25年以上も前から付き合いがありました。異様に長引く前座修業の最中、「これほど談志が二つ目に昇進させてくれないのなら、この先、新作落語を作る際のヒントになるのでは」という予感からシナリオの研鑽も積んでいました。その過程で加藤氏と出会い、私の落語会にも頻繁に来てくださるようになりました。

 

コロナ禍で私が落語の仕事が激減する中、私が最初に書いた『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)の脚本化に当たり、いわゆる「ハコ書き」(ストーリーをシーンごとにわけた構成表のこと)からご伝授を賜っていました。

 

いわば談志が落語の師ならば、加藤氏は脚本の師でもあります。

 

そんな師弟で飲んでいた写真をSNSでアップしたところ、早速翌日「碁盤斬り」関係者の目に留まりました。「主役の草彅さん扮する柳田格之進の住む長屋の大家役で出演お願いできないか」という流れになり、万難を排して承ることになりました。

 

実は30年ほど前でしょうか、当時主流だった「ビデオ映画」、いわゆるVシネに役者として初めて出演しました。以後TBS月曜ミステリー「検察審査会」など10本以上経験させていただいていますが、いわゆる「本編」への出演は初でありました。

 

昨年1月下旬から諸々動き出しました。

 

2月頭には東映大泉に向かい、衣装とカツラ合わせが行われました。

 

その日割と早めに家を出てゆこうとすると、長男が「パパ、今日は早いね? どこに行くの」と聞いて来たので「衣装と、ヅラ合わせ」と答えたのですが、彼は私の頭部を見やり、「苦労してるもんな、アートネイチャーか?」と労わってくれました。

無論、そのヅラではなく、時代劇のちょんまげなのでした(笑)。

 

映画出演で知った「リスペクトミーティング」とは何か

 

そこで白石監督、プロデューサー各位と初顔合わせとなりました。

 

プロデューサーからは「リスペクトミーティングの一環として、スタッフの前で『柳田格之進』を一席やってもらえないか」という打診を受けました。リスペクトミーティングとは、相互理解を深め、尊敬し合う関係をつくるミーティングのことだそうです。

 

白石監督は、かつて指導の名のもとにパワハラが当たり前だった映画界を変えようと、『孤狼の血 LEVEL2』の撮影からスタッフとともにパワハラ講習などを受ける「リスペクト・トレーニング」を導入したこと でも知られています。

 

「落語の背景、江戸の長屋の生活模様などを、落語を通じて若いスタッフに馴染ませてもらいたい」という趣旨で、2月半ばに京都にある松竹撮影所試写室で語ることになりました。「まずはスタッフさん同士から、お互い理解を敬意を持ち合い、諸々積み重ねてゆく」、つまり「リスペクトし合う」コミュニケーションこそがパワハラやセクハラを呼び招く空気感を拒絶するのではという、「信念」を感じたものです。

 

談志が嫌っていた「柳田格之進」

ちなみに「柳田格之進」のあらすじは以下の通りです。

 

不器用で頑固一徹な彦根藩の浪人・柳田格之進は、女房に先立たれ、美しき娘・絹と浅草は安倍川町の裏長屋で二人暮らしをしていた。
 

貧乏を絵に描いたような暮らしぶりに中、ある日、碁会所で大商人である萬屋と仲良くなり、親交深めてゆく。そんな中、萬屋での月見の宴の翌朝、番頭が主に「昨晩の細川様の掛け金の50両がまだ帳面に入っていませんが」と尋ねる。

 

主にとっては寝耳に水だったのだが、番頭は昨晩離れで柳田と差し向かいで碁に興じていた主に間違いなく渡したと言い張る。主は「私の小遣いで埋め合わせる」いうのだが、腑に落ちない番頭は柳田宅を訪れる。

 

潔癖な柳田は疑いをかけられたものと恥じ、切腹をしようとするのだが絹に止められる。

 

その後、絹は吉原の「半蔵松葉」という女郎屋に自ら赴き50両をこしらえた。その大金を柳田は萬屋に届ける。

 

この一件を呑気に話す番頭に不信感を抱いた主が番頭とともに柳田宅を訪れると、もぬけの殻。その後、年末のすす払いで奉公人が離れの額縁の裏から50両を見つけ出す。主が月見の宴の晩、預かった50両をそこに置き忘れていたのだった。

 

すぐさま奉公人総出で柳田父娘を探すのだが、一向に行方はわからない。やがて年が明け1月2日、番頭が柳田と雪の中再会する。土下座し、事情を打ち明けると、柳田はおもむろに「明朝その方宅へ参る。主とその方二人の首をはねる」と言い残して去ってゆく。

 

あくる日、萬屋宅を訪れた柳田はその大金は娘が吉原に身を沈めてこしらえたものと言い放ち、両名の首をはねると宣告する。覚悟を決めた主と番頭だったが、斬られたのは碁盤だった――。

 

講談から落語になった無骨ながらも武士の気概が描かれた名作です。

 

ちなみにこの落語を、師匠談志は正直嫌っていました。いわく「今の時代には合わない」とまで言い切って、口演することはありませんでした。

変わるから生き残っている落語

 

談志は、あの言動からは信じられませんが、フェミニストでした。

 

とあるバラエティ番組に出演が決まった際その打ち合わせの時に、構成作家からの「ここで○○さん(女性タレント)に年齢を聞いてもらえませんか」という提案に「いや、女性に対して俺はそんなことは言えない」と答えていたものです。

 

もしかしたら、「武士の気概に対する美学というよりも、父のメンツのために吉原で働かないといけなかった娘の絹の不憫さ」を感じていたのかもしれません。実際私生活でも家庭をとても大切にしてきた人でもありましたし、何と言ってもその家族には弟子に対して「さん付け」を徹底させた人でした。

 

娘を売るほどの値打ちが「武士の気概」にあるのか。当時の名人たちが平然とやっていた「柳田格之進」に違和感を覚え、口演しないことでひそやかに反旗を翻していたのかもというのは考えすぎでしょうか。そういうことの積み重ねで「立川流」設立に至ったのではと、妄想するのみです。

 

とまれ、落語は同じ噺でも時代、時代によって解釈が加えられ変えられてきたからこそ進化を遂げ、令和の今でも生き残っているものです。

 

私は落語が初めてのスタッフが多いとも聞いたので初心者向けガイドも含めて「柳田格之進」を語ることにしました。

 

マクラで「なぜ店賃がたまっていても大家さんは大丈夫だったのか」(答え……長屋の共同便所の糞便を農家に有機肥料として買ってもらっていた)などの当時の長屋の暮らしにまつわる豆知識、そして「落語はその時代の価値観に応じて中身もオチも変えられてゆくもの、そんなフレキシブルさが落語の命脈を保つもの」と訴え、「この映画に参加させていただくことで、私の『柳田格之進』が変わることになるかもしれない」と示唆して、語りました。

 

スタッフ各位には私が何者かということもわかっていただけた手応えを感じながら語り終え、3月の太秦での撮影が開始となりました。

 

怒号が飛び交う30年前の撮影現場

リスペクト・ミーティングを経ても、正直、私は「覚悟」をして臨みました。

 

30年近く前のVシネの現場では、ずっと怒号や罵声が飛び交っていたものです。

 

演技が初体験で「ずぶの素人」であった私もカメラマンの方から、容赦なく怒鳴られました。

 

「おい、わけえの! お前がそっちに行っちまうと、カメラから出ちまうだろ!」

 

あの頃談志にずっと怒鳴られていたものですから、ある程度耐性はあったつもりでしたが結構ひどい怒られ方をしたものです。

 

「何やってんだよ、ちゃんと動いてくれよ‼️」

 

「すみません!」と呆然と謝罪する私に、私より若い助監督がすぐさま飛んできました。

 

「すみません、○○さん(カメラマンの名前)、ほとんど寝てなくていっぱいいっぱいなんですよ」とフォローをしてくれて、その場は丸く収まりました。

 

Vシネマは低予算でやりくりをせねばならず、その軋轢がカメラマンさんを始め、現場のスタッフの皆さんにのしかかっていたのでしょう。

 

その晩のことでした。部外者的な私に対してひどい声を上げてしまった申し訳なさからでしょうか、そのカメラマンさんはその日の打ち上げでは反動のように優しくアドバイスしてきてくれたものです。ビールを注ぎながら「俺も怒られながら育てられた。談志さんもそうだろう。なにくそって思ってここまで来たよ」。

 

自分こそ「覚悟が足りなかったのかもです」みたいな言い方で対応したものでした。

 

「落語家をやるのも、役者をやるのも、映画を撮るのも、こういうものを乗り越えてゆかねばならないんだよな」と、注いでもらったビールは余計に苦く感じたものでした。

 

女性が活躍する令和の撮影現場

こんな思い出を胸に今回の現場に挑みました。「足手まといにならぬよう」と幾分こわばり気味だったのですが、実際は「拍子抜け」でありました。

 

まず、女性スタッフが多いのです。

 

そしてその女性たちが、おびえることなく、明るく振る舞っていました。

 

「この次の瞬間に何が起きてもその現場での主導権は自分にある」というかのような強制されないキビキビさはとても微笑ましいものでした。

 

スタッフさん同士が信頼関係で満ち溢れていて、仲良くなった音声担当の人とは「こないだ、談春さんと同じ現場でしたよ」という軽い会話や、小道具の人とは落語の話なども交わせる感じでした。スタッフさんにかような空気感がみなぎっていると、役者さんにもそれが伝わるのでしょう。

 

とにかく主役の草彅さんがこっちがかえって恐縮するほどの気さくさで接してくれたものです。

 

草彅さん、娘役の清原果耶さん、萬屋の主役の國村準さんらが焚火を囲んでいると、「談慶さん、一緒に温まりましょうよ」と声をかけてくれましたっけ。

 

休憩時間では、「いやあ、談志さんってどんな人でしたか」などという話で持ち切りとなりました。

 

そして休憩が終わり、白石監督から「本番!」という声がかかるとその声に合わせて草彅さんも「本番!」とかぶせてきました。

 

この絶妙の間こそが監督と主役との信頼関係の象徴のようにも感じ、「緊張はするけど緊張しすぎて固くならないようにね」という優しい響きそのものでありました。

 

いまのやり方のほうがいい映画ができるはず

30年前の自分が俯瞰で見たら驚くことばかりの連続で、実に有意義な時間となりました。

 

しみじみとあの頃を振り返りますと、まさに「不適切にもほどがある」を体現するような現場だったと感じています。

 

でも決して不快で蓋をしたいほどの思い出ではないことに改めて気づきました。

 

30年前の現場のあのカメラマンさんたちも「いいものを作ろう」としていまでいう「パワハラ」的な罵声を発したのでしょう。

 

過去を断罪するのではなく、同じくパワハラ肯定主義の渦中で下積みを重ねてきた白石監督が「いまの目の前のやり方のほうがむしろいいものを作りやすいのは」と様々な模索のあと確信したのではと、推察するのみです。

 

その具体的な実例こそ、草彅さんとの「本番! コミュニケーション」にあったのだとにこやかに今振り返っています。

 

私の落語「柳田格之進」もアップデートさせた

映画「碁盤斬り」は落語の「柳田格之進」と完全同一展開ではありません。

そして、なぜいまをときめく白石監督が「浪人」を取り上げたのか、こちらに関しては推測の域を出ませんが、「今だけカネだけ自分だけ」のこの令和の主流な価値観に対して、草彅さん扮する柳田格之進の姿を通して一石を投じてみたかったのではと感じています。

 

その姿勢は、かつてこの国で確実に存在していた「潔い武士道」の精神と、またそれと極北に位置する「談志の嫌った女性の犠牲」とのバランスに相違なく、そのあたりのアクロバティック的な差配は、やはり映画館で直接ご堪能くださいませ。撮影現場で草彅さんと「(柳田は)今の世にいない人ですもんね」と交わした会話がまさに象徴的でした。

 

そして、「変わらなきゃ」を合言葉に、この映画に携わらせていただいたことをきっかけに、私も自分の「柳田格之進」を後半変えて口演するようになりました。

 

落語ではあっさりしている部分ですが、「草彅さん演じる格之進の切腹」を清原さん演じるお絹が命がけで止めるシーンが、この映画ではCMとしても使われているほどの出色の場面です。両者の覚悟と覚悟とのぶつかり合い、「柳田の武士道を貫く姿勢」とそれに伍するお絹の力強い目に「触発」されたのです。あらゆる邪念を射抜くほどの視線に傍で観ていた私は怖くなったほどでした。そんな気概を持つ高潔な女性としてのイメージが増幅したので、後半の新雪を踏みしめ萬屋宅に向かう格之進に、お絹を同道させてみることにしました。そこで「これからの時代は女が担う」というニュアンスのセリフを格之進に言わせてみることにしたのです。

 

いやあ、感動するだけでは片手落ち、やはり「触発」されなきゃです。

くどいようですが、ぜひ映画「碁盤斬り」で皆様方も「触発」されていただきたく存じます。世の中は「触発」されて初めて変わってゆくものなのでしょう。

 

加藤さんの書いた脚本に白石監督が触発され、映画を撮り撮影現場で私が触発され落語を変えてこの記事を書き、映画館で観たお客様が触発されて、時代がじわりと変わってゆくに違いありません。5月17日公開です。お楽しみに!

 

---------- 立川 談慶(たてかわ・だんけい) 立川流真打・落語家 1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。 ----------