昨日に引き続き 暗----い朝です。

気持も どんよりします(笑)。

着ぶくれして・・・転んでも大丈夫なくらい(笑)

 

今日は

「うさかめ」あるので 待つにもテンションあげなきやね。

それにしても 冷え冷え シャブイです。

体調を崩さないように お互いに気を付けましょう。

 

ツイ情報です。

 

 

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『ブギウギ』趣里に道標を与える草彅剛の存在 重要な意味を持つ“自分自身と向き合うこと”(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

 

 

 

 

 

 NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の第16週となる「ワテはワテだす」が放送された。

「福来スズ子とその楽団」の解散後、スズ子(趣里)は喜劇王のタナケンこと、棚橋健二生瀬勝久)の舞台に出演し、歌だけでなく芝居の仕事にも挑戦することになった。

 

このタナケンとの出会いは、スズ子がかつて羽鳥善一(草彅剛)と出会った頃のことを想起させる。スズ子が表現を磨く節目節目において、自分自身と向き合うことは非常に重要な意味を持つのだ。

 

 

 そもそもスズ子を芝居へと導いたのは善一である。

スズ子のための新曲「コペカチータ」を書き上げた善一は、タナケンの舞台でお披露目してもらうべくスズ子を推薦した。そして善一の後押しの中で、スズ子は芝居の道へと足を踏み入れるのだ。  

 

だがタナケンは、スズ子がどんな芝居を見せても、黙っているばかり。スズ子は初めての芝居、しかも慣れない東京弁のセリフに苦労し、お世辞にも上手いとは言えない状態だったが、それでもタナケンはスズ子にアドバイスを送ることはなかった。

 

しまいには他の劇団員からも嫌味を言われる始末で途方に暮れるスズ子だが、とうとう善一の元を訪ねる。善一は「間が違う」と指摘されたというスズ子に、「少しくらいならリズムがずれても面白いだろ。そこからまた違うノリが生まれるかもしれない」と話すのだった。  

 

この過程こそが、スズ子が善一との初仕事として「ラッパと娘」に挑んだときと同じ流れなのである。わからないなりに正解を模索し、最後に辿り着くのはスズ子が持つ“自分らしさ”。

 

上手な東京弁でも、達者な芝居でもない、「他とは違う何かが自分だけの魅力になる」というメッセージは、スズ子が経験してきた芸の道を彷彿とさせる。善一のアドバイスや、小夜(富田望生)からの「どこで何してだってスズ子さんはスズ子さんだ。堂々としててください」という言葉で、スズ子はいつも通りの威勢の良さを取り戻す。  

 

タナケンとの稽古で思う存分自分らしさを見せたスズ子は「面白い」とタナケンをうならせた。

スズ子の個性溢れる芝居でこうして結果が出せたことを考えると、やはり善一の、“スズ子の本質を理解したアプローチ”は他の指導者とは一線を画しているように感じる。

伸び伸びとした「面白さ」を素直に追求し、スズ子にそっと道標を与えていく。そんな善一の存在感に、改めて唸らされた。

 

 加えて、今週も善一を演じる草彅の芝居は『ブギウギ』の世界観をより奥深いものとする。

スズ子がハキハキしたキャラクターであることが顕著に描かれた第16週の中で、善一はいつでもニュートラルで自分のペースを崩さない。

 

自分が推薦したスズ子がタナケンから気に入られようが、なかろうか、深く気にする様子さえない。こうした善一のマイペースさをここまで魅力たっぷりに表現できるのは、やはり草彅の“個性”に他ならないだろう。

 

草彅の芝居は、ブレない善一らしさを一本軸として持ちながら、第15週のような感情表現の必要な場面でも心を揺さぶってくる。こうした芯の通った芝居こそが、草彅の魅力なのだ。それでいて徹底した役づくりの中にも、暖かく穏やかな“草彅らしさ”が感じられる。

 

善一が生き生きとしたキャラクターに映るのも、草彅の表現が視聴者の心をしっかりと掴んでいるからに他ならない。  

 

タナケンとの熱い芝居がお茶の間を賑わせた第16週では、善一とスズ子の師弟関係もかけがえのない輝きを放っていた。スズ子の活躍の裏で、スズ子を導き続ける善一の存在が、今後も楽しみだ。

Nana Numoto