祖父はひろしさんと同じような

神田にある印刷工場で働いていた。

印刷機械の事故でそうなったのかは

教えてくれなかったけれど

指3本が、第一関節辺りから切断されていた。

もちろん一度も見る事はなかった。

いつも包帯を巻いていたから。

 



私が一番幸福だった頃の音の数々

 



例えば

夕刻時に

居間で祖父が

殻つきのピーナッツを

しゃりしゃり剥いて

ころころと食べる音や

絶え間なく

テレビから流れてくる野球中継の音や

しかしそれがたまに寅さんだったりする。

 



その時の私は

寅さんに興味もなく

ただ同じ部屋で寝そべりながら

少女マンガを読みふけっていた。

寅さんのあの威勢のいい声を聴きながら

 

時折

何か、もごもごと言いながら

笑いだす祖父。

 

ちょうど良い頃合いに

 

‘すいか切ったよ

ほら甘そうだよ‘

 

と祖母が台所からぱたぱたとやってくる。

 

‘お兄ちゃん呼んどいでよ‘

 

‘え~いいよ。どうせファミコンやってるし

たべちゃおっ‘

 

そして祖父がまた笑いだす。

こんな日常の繰り返し

 


父は私が幼い頃に離婚して

側にいなかったけれど、ちっとも

寂しいと思ったことはない。

 



月日は過ぎて

祖父も祖母もいなくなったけれど

それは子育てをしながら

なぞるように思い出す。

 


だから寅さんを見ると

あの頃の音や、夕暮れ時の風の匂いや

すいかの甘じょっぱさが

強烈に蘇ってくる。




 

 

 



お前もいずれ恋をするんだなぁ

あぁ可哀想に…


第29作  寅次郎あじさいの恋より

 




 

続きますカエル