先日、ウチに泊まりに来た🇲🇽ユカタン人女性

との時間。

 


メキシコ人はよく喋る。


大概のひとは、

よく話し、よく笑い、人の話もよく聴く。


 

 

話のテーマも、自然に広がっていく。

 

 

話の内容は大まかには何となく、分かる。

 


理解できない単語は

ウチのメキシコ人シェフに聞きながら…

話しを聴くというのが私のスタンスウインク


 


今回色んな話の中の一つのストーリーです。


 

彼女は🇲🇽ユカタンの小さな村Holcá出身。


彼女のお母さんは13歳で結婚、14歳で子ども

を産み、その後15人の子供が産まれ17人家族

だったそうガーン

 


家は屋根が藁で出来たマヤの家で、

扉もなく

電気も通ってなくて、水も井戸水。


トルティーヤもコーンから、

自分たちで作って焼いてた。


寝るのはもちろん、ハンモックで!

 

 


そのような環境下で、

子供たちは両親から料理、刺繍、靴などの

雑貨作りを教わって家計を助けていた。


彼女はそんな日常の中、

メキシコの通信教育のシステムで勉強し

学校の卒業証書をもらったそう。

 


 

中学生の時、

彼女は当時医学生だったご主人に出会い、

みそめられ数年後に結婚。

 


学校を卒業後、

アメリカでもっと勉強したいというご主人に

連れられてテキサスへ。


英語は全く話せなかった彼女は、

アメリカで英語学校に通い学んだそう。

 


偉いなーと思う。


この時点で波瀾万丈だ…。


 


ご主人はその後、医者から

弁護士に方向転換し、何故か

宗教の専門家になり、

不動産事業も始めたそう。

 


彼女は医学の勉強を続けるご主人を支える

ためにアメリカに渡ったが、方向が変わっ

ていくことに納得出来なかった。


でも最終的にご主人を支え続け、今がある。

 


そこにはご主人への“愛”があったのだと思う。

 

 


彼女のこれまでの人生のストーリーを

聴いていると

一つのドラマを見ているようで感動した。

 


で、ウチの人も

メキシコの家族や日本での色んな出来事について

話してた。

 


私は

今やってる事、これからやっていきたい夢

などを話した(時々メキシコ人シェフに

助けられながら、辿々しいスペイン語でタラー

 

 


その後家に着いた彼女から

ウチの人にお礼のメッセージが届いたの

ですが…


そのメッセージの最後の言葉に

ショックを受けてしまった悲しい

  


『Yoshimi は、とても良い人ですね。

あまりコミュニケーションが取れなかった

けど、彼女がメキシコ、ユカタンの品物を

とても愛していることは良く伝わりました』

と。

 

 


ガーン驚き


私はコミュニケーションを頑張って

とったつもりでした…泣

 


 


やっぱり、メキシコ人は

ストレートで正直ですね…泣き笑い

 


スペイン語習得はムズカシイですタラー

 


でも、私のユカタンへの愛ピンクハート

伝わっていたので良しとしますニコニコ