1993年の今日、

私はメキシコにいました。


20日ほど休みを取っての

初めてのメキシコ旅行。


 

百貨店で販売の仕事をしていて

20日も連休を取るなんて、今では

考えられない良い時代だったなぁ。

 


外資系の会社だったので当時は休暇を取る

ことは皆自由な感じで、どこへ行っても人が

いっぱいの連休を避けて、みんな閑散期に

1週間~2週間の休みを取っていました。 


しかも一年に1度 or 2度も。


 


東京のオフィスの上司も、「明日から1週間、

ハワイに行ってきまーす」とかだったので

下の者も休暇を取り易かったんですね。

 

 


 

8月15日、終戦記念日


この日メキシコにいた記憶が強烈なのは、

メキシコの実家(ウチの人の家)で

あるテレビ📺の映像を見たからです。

 

 

メキシコ滞在中、めったに

テレビを見ることはなかったけど、

お義父さんに声を掛けてもらって

見たシーンは2つ。

 


一つは、8/9の細川内閣が誕生したニュース。


もう一つは、8/15の日本の終戦記念日に

合わせたドキュメンタリー番組!

白黒の映像で、日本で見たことのない

ショッキングな内容でした。


日本人が第2次世界大戦中、行ってきた事実が

テレビに流されていたのですびっくり

 



ショックでしたガーン


そして日本人である私は、

その場にいることが恥ずかしかった…、

そう思ったことも忘れられないのです。

 


当事者である日本人が知らない事実を

少なくともこのドキュメンタリーを見た

メキシコ人たちは知っている。

 


お義父さんもお義母さんも感情移入する

ことなく、事実として淡々と見ていたし

私が日本人ということとは、全く関係ない

話のようだった。

勿論、私に気を使うでもなく…。



元々

日本人は…だから、

メキシコ人は…だから、

とか、一括りにして評価したり論じたり

しない人たちだと感じていた。



専門書などの文献には事実として

記されていると思うけど、実際の

行為を映像でみるのは、キツかった。



学校で勉強した歴史の教科書には出てこないし、

誰も話さない内容。

っていうか、この映像を見ないと知ることも

なかった事実。

 


アメリカ軍が撮影したドキュメントでした。

 



戦争、終戦という言葉でイメージするものは

人によって色々あると思う。

 


特に、体験していない私たちは

体験者の話しとか、日本のテレビや他の

メディアでの情報でしか知ることはない。

 

 

私は、あの日

メキシコに滞在していたので、たまたま

あのドキュメンタリー映像を見てしまった

のだけど…

 

 


やれと言われれば、

指令があれば何でもする人間の恐ろしさ…、

 


男性と女性の違いもあるかも知れない、

縦社会に生きる男性だから非情なことも

できたのか?

 

人を産み、育てる女性には

あのような残酷なことは命令があっても

出来るものではない、と思う・・・



 

ノーカットでぼかしのない映像は、本当に

ショッキングでした。

 


普通の日本人が知ることのない、戦時中の

日本人がしてきた事実をメキシコで知って

しまった、という日です。

 

 

 

 

あと、メキシコに行って驚いたのは、

テレビのチャンネル数がメチャクチャ多い!

という事。

 

100チャンネル位、あったという記憶が。

映画チャンネル、音楽チャンネル、ドラマチャンネル、ニュースチャンネル、、、

それぞれの専門チャンネルがあった。

 

 

当時日本は、BSチャンネルもなくNHKと

民放テレビが4局くらいだったから、

メキシコのテレビ放送はかなり進んでいると

感じました。



メキシコ人は、

“普通の日本人よりも日本のことをよく知って

いる” という事を知った日でした。



他国でも同じ(この映像がTVで普通に放送

されている)ことなら、戦争中の事実を知ら

ないのは日本人だけ⁈ と思ってしまいました。





その後、マヤ遺跡のウシュマルに

連れて行ってもらいました(^^)