父の三回忌。
横須賀の、山の上のお寺へ。
いやぁ、暑かった💦
見晴らしは、とってもいいのだけれどね。
(軍港の潜水艦や、横浜のランドマークタワー等がよく見えた)
妹や、甥や姪とも久しぶりに会った気がする。
(義弟←といっても年上 は体調不良で欠席)
一仕事終えた気分でホッ。
次は、お母さんの十三回忌かな、と言って別れたけれど、だんだん顔を見て話す機会も少なくなっていくのだろうか。
少し寂しい。
父の三回忌。
横須賀の、山の上のお寺へ。
いやぁ、暑かった💦
見晴らしは、とってもいいのだけれどね。
(軍港の潜水艦や、横浜のランドマークタワー等がよく見えた)
妹や、甥や姪とも久しぶりに会った気がする。
(義弟←といっても年上 は体調不良で欠席)
一仕事終えた気分でホッ。
次は、お母さんの十三回忌かな、と言って別れたけれど、だんだん顔を見て話す機会も少なくなっていくのだろうか。
少し寂しい。
今日は映画。
「ブリーディング・ラブ はじまりの旅」を観てきた。
ユアン・マクレガーとクララ・マクレガーの父娘共演。
ストーリーは葛藤を抱えた二人によるロードムービー。
両親の離婚で、20歳の娘は母親と暮らしているのだが、自分たちを捨てた父親が許せず薬物(アルコール?)依存症。
父親の方もまた同様の過去を抱えている(今は回復)。
心配した父親は、娘をリハビリ施設に入院させるべく、でもその目的地を隠して旅をする。
風変わりな人たちとの出会いと別れや、幸せだった過去をフラッシュバックさせながら、旅は続けられる。
父の目的を知った娘は激怒するが、最後は自らの意思で一歩を踏み出す。
音楽の使い方が上手だった。
それとエンドロールの後にも続く海鳥の声。
余韻の残る終わり方だな、と思った。
そして、この先の幸せを祈りたくなる作品だ。
群馬県・水上方面へドライブ旅行。
昨日はたんばらラベンダーパークへ。
リフトに乗ったり、一面に咲くラベンダーの香りに包まれて散策したり、ラベンダーアイスを食べたり。
標高1300mのスキー場なので、暑かったけれど歩けないほどではなくてホッ。
昼食は、近くの道の駅 川場田園プラザで。
平日だけれど夏休みが始まったせいか混み合っていた。
宿泊は、少し山に近い谷川温泉。
川沿いにある静かな宿で温泉を満喫。
今日はロープウェイとリフトを乗り継いで、天神平先の標高1500m地点まで。
お日さまカンカンで思っていたより暑かったけれど、青空の下、美しい山々を存分に眺めることができた。
道の駅 みなかみ水紀行館に立ち寄り(昼食も)、近くの諏訪峡も少し歩いたが、汗が吹き出して途中で退散。
足湯で、少しゆったりとした。
初めての水上旅行は小3の夏休み。
両親&妹と川遊びや、天神平や、夜の温泉街を楽しんだ覚えがある。
その後スキーも。
大学時代、土合の地下駅から谷川岳を目指したこともあるし、
子連れで遊んだり、親戚たちと一ノ倉沢方面へ足を運んだこともある。
なんていうか、水上&谷川岳は私にとって特別な場所のひとつになっているのだ。
今回、そんな思い出に浸ることができたことも収穫の旅だった。
「お母さんが一緒」🎥を観てきた。
誕生日を祝うために、母親を連れて温泉にやってきた三姉妹。
元々、母親&お互いに不満を抱えている彼女たちが、様々な考え違いや行き違いで壮絶な姉妹喧嘩になっていく。
原作が舞台作品ということで、3人芝居(登場人物は他にもいるが)を観ているような創りになっていた。
私も女二人姉妹だけれど、あそこまで言いたいことをぶつけ合ったことはないかも。
二人と三人とはまた違うのかな。
パワースポットの水のせいか、末娘の恋人の人柄からか、最後はなんとなく笑顔になれてよかったけれど、そのキーパーソンになっていたのが母親(ほとんど出てこないのだけど)。
いくつになっても子供にとって母親っていうのは大きな存在なのだろう。
舞台設定が嬉野温泉(撮影は違う場所で行ったらしい)だったのだけれど、ここには高校の修学旅行で宿泊した。
夕食後、外出してみたけれど、なぁんにもないなぁ(高校生が楽しめれような)っていう印象しか残っていない。
息子一家が遊びに来た。
夕飯は手巻き寿司。
孫たちは、まぁよく食べたこと!
お勉強の方はあまりパッとしない(息子談)らしい二人だけれど、まぁ健康第一で良しとするしかないのかな。
中1のお兄ちゃんの方は声変わりが始まっている様子だった。
小雨の中、お盆(横須賀の菩提寺は新暦なので)の迎え火も炊いた。
両親や、それ以前のご先祖さまも迷わずやって来られるかな。
どうぞ、私たちを見守っていてくださいね。
「ホールドオーバーズ 置いてきぼりのホリディ」🎥を観てきた。
アメリカの、ある名門全寮制高校のクリスマスから新年にかけての休暇。
ほとんどの生徒は家族と過ごすために帰省していくのだが、家庭の事情で寮に留まらざるを得ないを得ない数人がいる。
数日間過ごした後、さらに1名のみが家庭の事情で取り残される。
その他残っているのは他の教師から監督を押し付けられた堅物の教師と食堂のチーフ調理人(+通いでやってくる清掃員)。
両親の離婚と再婚で心が廃れていく生徒、持病とコンプレックスと過去の出来事から人と上手に関われない教師、戦争で息子を亡くした女性。
そんな3人に次第に絆が生まれていくストーリー。
そして、それぞれが互いを思いやり、新たな一歩を踏み出す姿を描いていて心温まる作品だった。
舞台は70年代初頭の設定。
映像もそれを意識した作りになっている。
過日、BSNHKで「がんばっていきまっしょい」🎥の実写版を放映していた(観ました!)が、こちらも70年代の四国が舞台。
10代だった頃の自分のことを振り返る気にさせてくれる2作品だった。
施餓鬼。
横須賀では新暦で行うので、山の上にある菩提寺へ行ってきた。
いやぁ、暑かった〜
終了後、駅近くのスタバでひと涼み。
ここは、大きな窓から軍港が見渡せる絶好のロケーション。
少し弱り始めていた父とも何回か来たことを思い出す。
その父も、母も、今は先程の菩提寺に眠っている。
それとも千の風になっているのかな。
さて、京急に乗って金沢八景まで行き、そこから初めて(!)シーサイドラインに乗車した。
1駅先の野島公園へ行ってみたかったのである。
(先日TVで観た)
公園全体が小さな島になっていて、海を真正面に見渡せる中々いいところだった。
しっかし、ここも暑い!
園内に復元された伊藤博文別邸が静かに佇んでいて、ゆっくり見学してきた。
彼は、横須賀と小田原にも別邸を所有していたらしい。
私の世代だと白っぽい1000円札(2代前?)の肖像画をイメージしてしまう。
せっかくなので(?)シーサイドラインに全線乗車してみた(新杉田まで)。
特に前半(??)は車窓に海の風景が広がって名前の通りね、という印象。
モノレールのように、高い場所を走っていくのも魅力的だ。
駅や車内の座席もちょっとオシャレ。
なんだかんだで、今日の歩数は10000を超えた。
「ハロルド・フライ まさかの旅立ち」🎥を観てきた。
イギリス南部に妻と住む老人が、かつての同僚から「ホスピスに入った」という連絡を受け、どうしても会って伝えたいことがあると、北部目指して800kmの道のりを歩き始める。
身体をボロボロにしながら。
途中、過去の自分と向き合いながら歩を進めていくのだが、彼には息子を自殺で失い、妻との間にも溝ができてしまった過去があった。
道中、さまざまな人々と関わりを持つのだが、その人たちもまた心に傷を負っている。
ニュースに採り上げられ、応援団なような集団と一緒に歩く場面もあった。
それと、ワンちゃんとも。
もうすぐ目的の場所に辿り着く、という場所で「家に帰りたい」と妻のモーリーンに電話するハロルド。
でも、彼女の励ましで、やっとの思いでホスピスに到着した。
そこには、もうほとんど意識が朦朧として会話もままならないかつての同僚の姿。
でも多分ハロルドに必要だったのは、クイーニーというその元同僚に会うことではなく、ひたすら歩きながら自分と向き合うことだったのだと思う。
そして、「旅立ち」というのは、ここからモーリーンと共に再び歩き出すのだ、ということではないのだろうか、と私は感じた。
あ、それとガラスのサンキャッチャー、キラキラして(最後のシーンでは光を取込んでゆらゆら)素敵だった。
私の部屋にも似たような物を飾っています!!
少し暑さが和らぐ夕方に近所を歩いているのだけれど(歩かない日も有り)、最近よく行くコースの途中に野菜等の無人販売所(畑の近く)がある。
不揃いの野菜を安く買える(代金を併設のポストに入れるシステム)のでしばしば利用。
先日、キュウリとトマトを持ち帰ったところ、今日は「あったらトマトを買ってきて」と夫からのリクエスト。
なので、今日はトマトと百日草の束を持って帰宅。
夕食に、トマトとモツァレラのカプレーゼ(我が家で育てているスィートバジルも使用)を食した。
勤めていた頃にはこんな楽しみもなかった。
のんびりとした、リタイア後のささやかな幸せである。
暑いなぁ!
午前中、美容室で、午後から映画。
「悪は存在しない」を鑑賞。
自然豊かな森の中で暮らす父と娘。
そこにグランピング施設を作る計画が持ち上がって、住民(含む移住者)達との軋轢が持ち上がる。
父は自然と人間社会との「バランス」をとても大切にしているように思える。
そして、妻・母を亡くして間もない(おそらく)父と娘は心に傷を負ってまだ立ち直れていないように見えた。
都会からの侵入者も、また胸の奥に傷を抱えているようだ。
誰の視線なのかな、と考えさせられるようなアングルの描写が多い。
流れる音楽は美しい自然を賛美するような明るさは乏しく、気持ちがザワザワするような弦楽曲だった。
ラスト、父は娘の中に妻の面影を見たのだろうか。
手負いの鹿によって傷ついた娘を抱えて深い森の中へ進んでいく父は死を意識していたように私には思えた。