大木惇夫という詩人② | 一言一会 (IchigonIchie)

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これまで、じつにさまざまな言葉を聞き、読み、そして発してきました。

このまま、忘れられてしまうというのは、もったいないような 気がし、
思いつくまま、書きとめていきたいと思います。 2012.10.3






        戦友別盃の歌



                      大木惇夫



       言ふなかれ君よ わかれを
       世の常をまた 生き死にを
       海原のはるけき 果てに
       今やはた 何をか言はん
       熱き血を 捧ぐるものの
       大いなる胸を たたけよ
       満月を盃(はい)にくだきて
       暫(しば)しただ酔ひて勢(きほ)へよ     
       わが征(ゆ)くはバタビヤの街
       君はよくバンドンを突け
       この夕べ相離(あいさか)るとも       
       かがやかし南十字星
       いつの夜かまた共に見ん
       言ふなかれ君よ わかれを
       見よ 空を 水うつところ
       黙々と 雲は行き雲はゆけるを




  この詩が、大木の戦争詩の代表作、「戦友別盃の歌」です。


いったいこの詩の、どこが戦争協力なのでしょう?・・・


たった一枚の召集令状により、心ならずも戦争に加わざるを得なかった者が大部分だったのでしょう。しかし、祖国存亡の危機に、戦争反対とか、人殺しは嫌だとかを言ってはいられない。負ければ、この国は消えて無くなってしまうのです。ともかく、全力を尽くして、先ず護らねばならない。故郷にいる父母や、兄弟や、妻子の為にも、戦わねばならない・・・


太平洋戦争の開戦(1941)と同時に、大木惇夫もまた徴用を受けます。海軍の宣伝班の一員としてジャワ作戦に配属され、乗っていた船が、味方の誤射によって撃沈され、海に投げ出されて漂流するという経験もあるのでした。


仲間を、兵士たちを少しでも慰め、鼓舞しようと書かれた詩の数々は、やがて『海原にありて歌へる』として一冊になり、前線の兵士たちに大いに愛誦されました。

                     

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詩集は「大東亜文学賞 」を受賞、作品の依頼が殺到して、大木は国民詩人として人気を得、もてはやされます。これを苦々しく思っていた者も少なくなかったのでしょう。敗戦と同時に、戦争協力者としての彼の黙殺と排斥が始まるのでした。


森繁久彌 は、「 戦友別盃の歌 」をことのほか愛し、全文を暗誦して、ことあるごとに朗読し、忘れられつつあったこの詩を世に広めました。


なお、詩は、点を打つ箇所や、言葉など、引用者によって若干違い、悩むところでしたが、下の 雑誌に掲載されたものを参考としました。



戦友別盃の歌