愛について | 一言一会 (IchigonIchie)

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これまで、じつにさまざまな言葉を聞き、読み、そして発してきました。

このまま、忘れられてしまうというのは、もったいないような 気がし、
思いつくまま、書きとめていきたいと思います。 2012.10.3



14日はバレンタインディですね。
それで、日本の「愛」の名詩をご紹介しましょう。





       愛について



                   
                     
殿岡 辰雄 (1904-1977)




  ひとを
  愛したといふ記憶はいいものだ
  いつもみどりのこずゑのやうに
  たかく やさしく
  どこかでゆれてゐる



  ひとに
  愛せられたというおもひはいいものだ   
  いつも匂ひやかそよかぜの眼のやうに
  ひとしれず
  こちらむいてまたたいてゐる


       

  「愛」をいしずゑとして
  ひとよ
  生きてゐるといろんなことがあるものだ





若い人も、年老いた者も、この詩を読むと、ほのぼのとしたもの、或るなつかしさを感じるのではないでしょうか?・・・(その感じ方は、年代によって、また微妙に違うのでしょう。)


われを思う 人を思わぬ報いかや わが思う人の われを思わず」 の古歌がありますが、「愛」はなかなか自分の思い通りにはなってくれません。


しかし、愛したという思いも、愛されたという記憶も、やがてすべて「時」が包みこみます。

そして、高い樹々の梢のみどりのように、匂いやかな春のそよ風のように、いつからか心を癒し、慰め、支えてくれるものの一つとなるのです。



実は 今回、この詩が ブログやHPのなかに ずいぶん引用 されていることを知ったのですが、そのいずれも( 一箇所 か二箇所) 違っているのでした。(インターネットの大いなる弊害は、チェック機能がなく 間違ったまま、どんどん一人歩きしてしまうことでしょう。)



その箇所とは、    ○                  ×
7行目の    愛られたという        愛されたという
10行目の   こちらむいて           こちらむいて        です。


詩というのは、たった一字でも抜けたり 変わっただけで、そのニュアンスがまるで違ってきます。推敲に推敲をかさねた作者に、これは何とも失礼な気がして、今回取り上げたわけです。そのため、あえて歴史的仮名遣い のままとしました。ちょっと読みにくいかとは思いますが、水増ししていない 生(き)の ウイスキーの芳香 です。





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