こんにちは。「新潟×朝活」管理人の土屋裕行です。
本日は新潟×朝活の定例会でした。
しかし、今回は残念ながら参加者がいませんでした。
そこで今回の感想では、
自分が今日の朝活の時間で考えていることを描いてみようと思います。

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自分がこの朝活を始めたのは、
自分の知らない世界のことを知りたかったからで、
おかげさまで多くの方々に参加していただき、
当初の願いは十分に叶っている状況です。
全く知らない他人同士が集まるので、
会話の中心は全員に関わりのある仕事関連の話が多いですが、
自分が携わったことのない分野の話を聞くのは、
その人の経験を疑似体験しているようでとても楽しいです。
人それぞれ興味性格に個人差があって、
経験も価値観も異なっています。
そこでふと思ったのは、
「全ての人にとって世界は同じように見えているんだろうか」
という疑問です。
実はこの疑問、高校時代にも考えていたことを思い出して、
高校時代の友人たちと話していたことも同時に思い出しました。
高校生の時の自分は、
視覚の差で多少の誤差はあれど
みんなが見ている世界は自分と大差ないもの、
という意見を持っていました。
あれから20年が経ち、今改めてこの問いに向き合ってみると、
当時とは違って世界の見え方には個人差があるのではないか
と思い始めています。
それは先ほど述べた
「個人の興味関心のばらつき」が要因になっています。
例えば、自分は子どもが2人いますが、
子どもが生まれてからは子どもに関することが
目に留まるようになりました。
本屋に行けば育児や教育、絵本コーナーを回るようになり、
子供に食物アレルギーがあるので加工品の原材料に目を向けるようになり、
子ども向けの遊び施設をチェックするようになりました。
子どもが生まれる以前も同じ環境があったはずなのに、
自分の目に入っていたはずなのに、
それらはまるで存在していないかのように
自分の頭の中を素通りしていました。
子どもが生まれる前後で、
自分が見ている世界は間違いなく変わったと言えます。
人それぞれ自分の興味関心が強いものは目に留まり、
興味のないものは世界から取り除かれる、
同じ世界に生きていながら、
見えている世界は大きく違うんじゃないのか、
というのが今の自分の考えです。
今はSNSなどを通じて自分に近い人たちが集まりやすく、
世界の見え方の個人差はより大きくなっていくような気がします。
自分が見えている世界は誰にとっても同じように見えている、
という前提で話すことは特に今の時代には合っていません。
自分が見ている世界は決して世間の唯一の常識ではなく、
他の誰かにとっての非常識だという認識で話すことが
現代コミュニケーションでの優しさではないかと思いました。
今日は1人の時間を使ってじっくりと考えられて、
これもまた良い朝活の時間となりました。
自分の世界に閉じこもらず広げたいという方、
ぜひ朝活にご参加ください。
次回は6/23(土)の予定です。
(日程は変更になる場合があります)