父は男子校、母は女子校出身である。
無論我が妹も女子校出身であり、故の我である。
其れに留まらず、叔父は全員男子校、叔母は全員女子校出身である。叔母に関しては高校も全員同じだ。
中には直属の部活の先輩後輩にあたる関係もあり、かなりクセのある家系である。
私がヤスキと義兄弟の関係だと思ってもらえれば分かりやすいだろう。
毎年の正月に親戚一同が集まると、それぞれの爆笑高校エピソードが飛び交う。
毎年新ネタなのが特筆すべき点だ。
自転車でガソスタに乗り込んだ母
ミスドで1円玉のみで会計しようとした叔母
応援団にガチガチボッコボコにされた叔父①
バスケ部の全同級生の足が長く、常に小走りで並走していたチビ叔父②
これが中々に面白いのだ。
自分の高校時代が霞んでしまう。
去年は初めて仙台で年末年始を過ごしたので、寒さがその寂しさを助長させたものだ。
ここで、一昨年父から聞いたエピソードを紹介しようと思う。
父の身長は私と同じくらいで、大きい方ではあるが、クラスで1番という訳ではない。
体育館に集まる懐かしの全校朝礼。
背の順で並ぶとすれば、40人いる野郎共の中では後ろから8番目くらいにはなるらしいが、何故か父は決まって1番後ろに居座っていたらしい。
何故、父は1番後ろに並んでいたか。
曰く、『後ろから全校生徒を見守るのが俺の役目だった』らしい。
男なら誰もが共感するであろう、『今不審者が現れたら自分が助けてヒーローになってやる』という密かな妄想を拗らせていたのだろうか。
何度も言うが、彼の高校に女はいない。(父が熟女好きだったのなら合点いく)
そんな自由奔放な父を叱る教師は誰1人として居らず、寧ろ生徒と同じように壇上から唱えられる念仏のような話に退屈していたらしい。
毎朝変わり変わりでやって来るクラスの遅刻者は無理矢理後ろに引き止め、父は彼らと駄弁っていた。
高3になっても父は最後尾に鎮座していた。
いつしか教師も同級生も父のことを、こう呼ぶようになっていた。
終止コドン
因みに、終止コドンは大学受験では生物選択であったが、センター試験5割を切ったことが最大の原因で浪人している。
1浪時、現役時の点数をさらに4点下回ったらしい。
強メンタルな父でも流石に知恵熱を出して2日寝込んだらしい。
募集定員から溢れつつも追加合格で進学できたというエピソードまで、私も父親の血を色濃く継いでしまったのだと感じられるものだ。
我が父の1番短い新年高校エピソードは
『高校3年間のプロ野球ドラフト指名日の朝は、毎年念の為坊主にして学校に行っていた』という話である。
父はバレー部である。
それでは、1月11日のメニューです。
どうして今更書いたかというとですね・・・
ついさっきまでコーダイに動画編集のやり方をzoomで教えていまして・・・
赤じゃさんの写真が少ないんですって言われてフォルダを見返していたら・・・
古のメニューを発掘してしまいました。懺悔します。
まぁ、生存報告も兼ねて投稿致します。
A級2日前でした。
年末年始もヘスースと泳いだりして、5回くらいは泳ぎに行っていました。
この日の練習中ヤスキに、「ちゃんと練習はしてたっぽい泳ぎはしてるな」と言われたのは覚えていますが、100×6本は大会組は自由にやらせて貰えたなかでも、冬四前+3秒はかかっていたので、薄々A級の結果が覗えていました。
そんなに皆さん酷かったんですかね。明らかに大川の腹だけが立派になっていたくらいの印象でしたが。
A級の結果としては全国公のタイムは1つも割れないどころか、400IMに関しては二度と泳ぎたくありません。200IMもナオミチと苦笑いしながらレースを終えたような気がします。
ですが、400Frの団権を狙いたいくらいには結構練習しててもレースでも楽しかったです。Frってやっぱ格好いいっすよね。虎太郎、ちゃんとやってるか?
幸い、標準改訂後もBaは正規と団権でそれぞれ割れていたので良かったです。
どうやらガジャマダ大学の水泳部もあるようなので、時間ができたら参加する予定です。
まぢJesusUrbanejaリスペクト💗
影ながら応援しています。
七帝戦の時には僕が悪目立ちしてしまうくらい皆が速くなっていることを願っています。
雑談
個室にトイレットペーパーを設ける文化がないらしく、宗教的にも不浄の手とされる左手で、油そばの如く下からガッツリお願いされるということを聞いた時には、
「ほんまに良い国に来させてもらったな」と思いました。
到着3日目、クレジットカードを全て紛失しました。
共有キッチンにはヤモリの親子がはびこってます
いつのまにかパソコンのキーボードの上にアリがいます
部屋にゴキブリが2回も出てます。
歩いてたらたまに引くほど臭い場所があります。
こっちに来る前にもそれなりに下調べはしてきましたし持ち物の不足とかは無いようですが、
元々のイメージなんて、2018年のM-1でジャルジャルがやった「国名わけっこ」というネタか、「日常」のユッコのイメージしかありません。
大学についてもよく知らないまま来ました。
この国で一番頭が良いらしいです。揃いも揃ってみんな引くほど英語がペラペラです。
あれ、俺もノースフェイスで外国人さん接客してたんだけど?東北大生しゃべれませんけど?
父親の根性とユッコの脳天気さのいいとこ取りをしてどうにか半年しばかれてきます。帰国後はお土産と共に、もちじゃのミオには焼き鯖を買ってきましょうか。
それでは、また7月!