の東宝怪獣映画もちょうど「ゴジラ(1954年)」から10年が経過し更に7年振りにゴジラが復活した「キングコング対ゴジラ(1962年)」がメガヒットしたことで東宝もゴジラ映画の商品価値を本格的に認めゴジラが誕生してから10年目の1964年、生誕10周年を記念しゴジラのみならず怪獣映画の集大成を図った作品として本作品が誕生した。
前年の「マタンゴ」で導入したオックスベリー・オプチカルプリンターが実質成功したことで更なる合成シーンのレベルアップを図り造形技術も「ゴジラ」以降着ぐるみの軽量化をはじめとして素材そのものの向上や新素材の導入、内部メカによる口の開閉、電飾による目の発光などで格段に進歩し登場する怪獣キャラクターもより生物としてのリアルさを表現するのに可能となっていった。
こうした技術の進歩によりゴジラスーツの表現の一つの頂点を極めた通称「モスゴジ」が誕生することになった。
本作品のゴジラはこうした技術的な部分のみならず演出的にもまさに頂点ともいうべきものがあった。
殊に出現シーンのインパクトに関しては本作品を未だに超える作品はないと思えるほど秀逸な出現シーンである。
ゴジラは干拓地から出現するのだが従来(及び近年の平成ゴジラは)ではかなり唐突に登場したりいきなりというパターンが多かった(第1作では山の麓でごぞごぞといてから出現!となっていたが比較的地味な描写だ)が本作品ではまず干拓地に地震が起こり次に画面中央に蒸気が発生、それから間をおいてから尻尾が勢いよく跳ねるように現れてからゴジラが上体を起こして出現する!
といったように出現のシークエンスもあちこちに伏線が張られていて緊張感溢れる出現シーンとなっていた。
それに加えてゴジラを演ずる中島春雄氏の演技も近年のようなぎこちなかったり怪獣ということを無視したような演技ではなくまさに怪獣ゴジラそのもののような自然かつ動物的な演技をしていて強烈なインパクトを残している。
続いての泥を震い払うゴジラというシーンも実にシーンの繋がりが自然でこの後のシークエンスに移行する上で重要なシーンとなっている(更にこの後のゴジラが干拓地を後に進撃するシーンがあるがこれは残念ながら本編からカットされてしまった。)。
この後ゴジラは四日市工業地帯に現れるのだがここでは従来の円谷監督作品のゴジラではややアップかアオリを活かしたロングで処理されているが前作辺りからワイドスクリーンに挑戦するかのように望遠のような大ロングで特撮空間を表現するようになっていて更に本作品ではオプチカルプリンターの導入もありミニチュアシーンのみならず実景にゴジラを合成するシークエンスも積極的に行っている。
この実景にゴジラを合成するシーンは四日市、名古屋城、名古屋タワー、後半の岩島に迫るゴジラがあるがこの中では一番四日市のシークエンスがミニチュアシーンと挿入していても違和感のない仕上がりとなっており不自然さがない。
四日市コンビナートのシークエンスはあまり話題にはされていないが丁寧に作られたコンビナートのミニチュアセットと撮影もカメラがゆっくりと左から右へとパン(移動撮影)しゴジラがカメラの動きに同調して移動していき熱線でコンビナートを破壊していくシーンであるが低いアングルで撮影されたミニチュアコンビナートシーンはじっくりと見せているので実際のコンビナートと見間違うような見事さである。
地味ではあるが本作品では動的なミニチュア特撮のみならず静的なさり気無いミニチュア特撮もあり後者の方が完成度も高くなっていた。
冒頭の台風シーンでは見事な波の描写でローリングする漁船や物凄い強風で根こそぎ剥がされていくテントといった見事なシーンもあるが特撮だと判ってしまうシーンでもあった。
だが、台風一過し復旧に向けて排水ポンプが稼動するシーンは特撮とは思えないくらいに見事なシーンであり私も書籍などで漸く判ったほどさりげないながらも見事な特撮であった。
このように実にさり気無い所のミニチュア特撮が秀逸なのもこの作品の魅力である。
本作品では集大成的作品ということで前作ではゴジラの対戦相手としてキングコングが選ばれて日本とアメリカの怪獣の代名詞同士が競うという一大イベントに相応しい作品となったが今回は東宝同士のキャラクターとなりゴジラの相手として女性にも受け入れられ尚且つ怪獣映画にも革命を起こしたキャラクターであるモスラが選ばれることとなった。
これは同じ東宝のキャラクターでラドンということであれば地味さは免れないしましてやバランだとマイナーな暗さがあってあまり相応しくない(それが魅力でもあるが)それならば女性にも認識度の高いモスラの方がより高い動員が望めるということで選ばれたのである。
当然本編では本多監督が選ばれ脚本も陽気でかつエンタメ要素の高い関沢新一氏が選ばれて軽快かつ娯楽性の高いシナリオとなっており本多監督もインファント島の悲劇とレジャー産業を絡めたストーリーを丁寧に演出している。
本作品でのテーマに関して本多監督はインファント島でのシークエンスの悲惨さだという。
登場人物たちがモスラの力を借りようと島に上陸をしたがその余りにも悲惨な状況―島には無数の動物の屍骸が転がっておりそれらは無言の抵抗を言っているようだ―に力を入れたかったという。
「モスラ」でも島の悲惨さを訴えるようなシークエンスがあったもののどちらかというとあっさりとしていて放射能に覆われても負けずに生えている森林といった逞しい自然のイメージで幻想的な雰囲気であったが今回は「モスラ」のテーマの一つであり悲惨な状況での原因となった原水爆批判をより深化した描写にする狙いであった。
実際の作品でも鯨の白骨が島に転がったりしているシーンもあるがどちらかというと言葉足らずでシンプルなものになってしまった感じは否めないしセットだと判ってしまってニュアンスが伝わらなかったのが残念なところである。
しかし、この時期特撮映画に於ける予算の算出が以前に比べて実に厳しいものとなっており中々特撮以外のこのようなセットまで予算が回ってこないという悲劇があったのである。
これは後の作品にて更に露骨になっていき特撮シーンでも使いまわしのライブショットが頻繁に登場する羽目になってしまう。
だがしかし本作品では割とその辺はあまり感じさせない出来となっており特撮シーンは充実の出来となっている。
ゴジラのみならずモスラもまた生物としてのリアルさを追求しており「モスラ」の時以上に華麗さがあってゴジラとの戦いでも脚をばたつかせたり首を振ったりとより表情が出てキャラクターに入り込みやすくなっている。
「モスラ」の時よりもモスラそのものは小振りになってはいるが表現の豊かさに関してはそれ以上となっておりモスラのキャラクターへの魅力は本作品で一気に開花された感じである。
幼虫の戦いもまた岩場を利用してゴジラを翻弄させる作戦に出て工夫がなされており見るものを飽きさせない。
更にであるが本作品では前作ではオミットされたゴジラ対自衛隊という「ゴジラの逆襲」以来描かれなかったシークエンスも復活しておりしかも密度の濃い特撮シーンとなって本格的な描写となっていた。
場数も多く電撃のアニメもよりダイナミックな作画がなされて単調になるのを防いでいる。
このシークエンスに関連している事であるが本作品の海外版ではアメリカ第7艦隊がゴジラと戦うシーンが追加されている。
従来では海外版ではアメリカで再編集されたりそのままオリジナルが上映されているのだが本作品では国内で追加されしかも特撮シーンということでより見せ場が増えた作品となっている。(下画面)
このシークエンスは鳥取砂丘にてオープン撮影がなされておりリアルな太陽光の中、空間処理の広がりを感じさせるシーンとなった。
ゴジラを攻撃するロケット弾の弾着はアニメで処理されて独特の効果を生んでいてこのシークエンスの冒頭では艦隊がアメリカ国旗を棚引かせるシーンもありサービス満点である作品であった。
本作品では周知の通りザ・ピーナッツが「モスラ」に続いて出演しており本作品の音楽は伊福部昭氏が担当している。
だが前作であまりにも有名な「モスラの歌」は古関裕而の作曲であるのでいわば外野の音楽である。
そこで伊福部氏は古関氏の「モスラの歌」をアレンジし更に新規に「聖なる泉」と「マハラ・モスラ」という歌曲を作曲しているがこれは伊福部氏には珍しいケースである。
歌曲そのものに関しては「コタンの口笛(1959年)」などがあるがポップス界の歌手用の作品となるとほぼ本作品のみであり日本作曲界の重鎮とポップス界の大物歌手であるザ・ピーナッツとのコラボレーションが実現したという一面もあるのが本作品であった。
スタッフ
製作 田中友幸
脚本 関沢新一
撮影 小泉一
美術 北猛夫
録音 矢野口文雄
照明 小島正七
音楽 伊福部昭
監督助手 梶田興治
特撮スタッフ
撮影 有川貞昌、富岡素敬
光学撮影 真野田幸雄、徳政義行
合成 向山宏
照明 岸田九一郎
美術 渡辺明
監督助手 中野昭慶
キャスト
宝田明、星由里子、小泉博、佐原健二、藤木悠、田崎潤、ザ・ピーナッツ、田島義文、藤田進、小杉義男、谷晃、沢村いき雄、中島春雄他
東宝製作・配給
公開日1964年4月29日
東宝スコープ・89分カラー