太平洋の鷲(1953)
戦時中「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼戦闘隊」のような戦争映画や「グライダー」、「飛行機は何故飛ぶか」といった戦争教育映画を製作していたために円谷監督は公職追放指定のために東宝で作品を撮れずじまいというトラブルを受けた。
しかし後に円谷プロとなる円谷特技研究所を作って東宝以外の映画会社の特撮作品を制作し新たなる特撮作品の可能性を求めていた。
そして数年が経ち円谷監督は東宝に復帰、その本格的な第1段が本作品である。
本作品の企画は当初、神風特攻攻撃隊の企画から始まったという。
この作品は「青い真珠」でようやく本格的デビューを果たした本多監督が戦争への批判を込めて書かれたシナリオだったのだがこの時期、終戦から10年も経過しておらず戦争批判の内容の作品はご法度ということで没となったのだが代わりにシナリオライター橋本忍氏が山本五十六を主人公とした作品のシナリオが完成して企画が通ったものであった。
さて、本作品の製作には画期的な試みが行われることとなった。
それは映画の全てのシーンを絵にしたピクトリアル・スケッチ方式である。
これはハリウッドの撮影所を見学した森岩雄氏が発案したもので予算のかかる特撮作品で効率的に製作することを意図したものである。
この方法を使うと全シーンを絵にしているので不要なシーンは省き重要とされるであろうシーンは欠かせないなどが一目瞭然であり予算配分を決める尺度が可能な方法であるので特撮には重要な武器であった。
こうして合理的な製作体制が完成した中での本作品ではあったが「ハワイ・マレー沖海戦」から10年を経過した中では特撮スタッフの製作条件は悲惨そのものであったという。
スタッフの人員が円谷監督以下少人数しか認められておらずクレーン係が操演を兼任するのはざらで本編を優先して特撮にステージを与えられなかったりミニチュアを揃える予算が少なかったりするなどの冷遇ぶりだった。
だがそれでも全長25メートルという最早ミニチュアとは思えないほど巨大な空母のミニチュアを製作したり大型スクリーンプロセスを使うなど円谷監督率いる特撮スタッフは工夫した。
結局のところ、ピクトリアルスケッチを使用したのは真珠湾、ミッドウエーなどの戦闘シークエンスは戦前からの特撮作品からのバンクを流用し予算を安く上げる意図だったようであった。
まず、真珠湾のシークエンスは「ハワイ・マレー沖海戦」から使われミッドウエイは「加藤隼戦闘隊」、ガタルカナルは「雷撃隊出動」といった風に流用され経費削減ばかりでなくそれまでの戦争映画の集大成的なものとなっている。
ところで本作品では1式陸攻の墜落シークエンスが特撮で撮影される予定だったが撮影がうまくいかずに結果的にはNGとなってしまった・・・。
そのためにスチールとして現存することになったのだがこのシーンが順調にいっていればラストシーンもまた違ったものになっていたであろうと思うと残念に思う。
実際に作品を見ると静かな作品で誠実な演出が山本五十六の人間性を浮き彫りにしているようであり抑制の効いた演出であり後の本多監督の演出と比べるとやや固い印象はあるがその抑えた演出が逆にリアルな演技として戦争の悲劇を伝えていた。
特撮シーンに関しても新規の撮影となったミッドウェーのシークエンスは空母の格納庫爆破のシーンでは大きなミニチュアを使ってる故の巨大感が出ており流用シーンと比べても遜色のないものとなっている。
結果的に本作品はヒットしここに後の「ゴジラ」での本多、円谷コンビの誕生となった特撮史上忘れてはならない作品となったのである。
スタッフ
製作 本木荘二郎
脚本 橋本忍
撮影 山田一夫
美術監督 北猛夫
美術 阿久根巌
録音 宮崎正信
照明 大沼正喜
音楽 小関裕而
応援監督 小田基義
監督助手 小松幹雄
特殊技術
特撮監督 円谷英二
美術 渡辺明
合成 向山宏
キャスト
大河内伝次郎、二本柳寛、三船敏郎、三国連太郎、清水将夫、小林桂樹、志村喬、柳永二郎、高田稔、菅井一郎、千田是也、佐々木高丸、伊豆肇、見明凡太郎、山田巴之助、汐見洋、小川虎之助、村上冬樹、堺左千夫、植村謙二郎、清川荘司、富田仲次郎、恩田清二郎、池田忠夫、手塚勝巳、中島春雄
監督 本多猪四郎
公開 1953年10月21日
東宝、スタンダードモノクロ作品 119分