昨日の昼過ぎから春一番が吹いて、急激に気温が上がって、何だか寝苦しい夜でした。
今日は一転して、強い北風が吹いています。
何となく空を見ていたら、大きなカラスが風に逆らって飛ぼうとして
風にあおられる姿を見ました。
それだけ今日の風は強いんですよね~
ということで、庭にも小鳥ちゃんも来てくれないです。
谷保天満宮の続きです
二の鳥居を通る前にあった、淡島社・蒼守社・稲荷社
奥を覗いてみたら、参道がとても長かったので、入口だけ撮影しました。
手水舎
まだ雪の残る神楽殿
座牛(石像)
菅原道真公 薨去の際、筑紫国三笠郡四堂に墓を築き葬ろうと
轜車(喪の車)を引き出したが、途中牛車が動かなくなったのでその場に埋葬した等
菅公と牛に関する神秘的な伝説が数多く残っている。
座牛はこの悲しみに動かなくなった牛を、表現したものである(説明版より)
御祭神が菅原道真公だけあって、絵馬の数がスゴイです
拝殿と神牛
撫牛なので、皆さんがなでなでするのでピカピカに光り輝いています
谷保天満宮 拝殿
彫刻が素晴らしいです
本殿への入口
谷保天満宮 本殿
昌泰四年右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流せられた。
延喜三年父君薨去の報に、道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが起りである。
天暦元年京都北野天満宮造営の折、当社の威霊を奉上され
村上天皇の勅により神殿を造営され官社に列せられる。
建治三年後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の扁額を納められる。
その後、道武公の裔孫津戸三郎為守は源頼朝に仕え数々の武功を立てるが
養和元年十一月三日旧来の地(現国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷し
太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、 社務六院を置き祀典を司どった。
明治十八年には府社に昇格し東日本における天満宮としては最も古く
湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称される。(谷保天満宮HPより抜粋)
御祭神:菅原道真公・菅原道武公
本殿の細かな装飾がとても素晴らしくて、東日本最古と言われるだけあって
歴史を感じさせる造りになっているなぁ~と思いながら撮影していました。
交通安全発祥の地
国産初のガソリン車「タクリー号」のレプリカが中に収められています。
まん丸くて可愛かったのですが、ガラスの中を撮影したらよくわからなくて
あえなく掲載は却下
厳島神社と弁天池
まだまだ続きます。
次回は、拝殿前の狛犬さんや梅園へ行きます。
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