何気なくBSをみていたら、新街道を行くー肥薩のみちーをやっていた。

 

その中で、15代薩摩焼の沈壽官氏が祖国の陶芸技術を学ぶため韓国の大学院へ留学しようとした際に、面接で試験官に「大学院で400年の日本の垢を落としてください。』と言われて、留学をしなかったというエピソードが紹介されていた。

 

 

以下のブログの記事は、このBS番組とは無関係だが、この留学の際の話と司馬遼太郎からの手紙で書かれていた「トランス・ネーション」について触れている。

 

(以下、上記から引用)

 

・・・(留学をあきらめ)小さなキムチがめ工場に住み込みで働き始めるが、言葉もうまく通じず苦労を重ねる。涙することもあった。半年を過ぎた頃、司馬遼太郎より便りが届き、その言葉に励まされる。司馬は、こう書いていた。

「いまの日本人に必要なのは、トランス・ネーションということです。韓国・中国人の心がわかる。同時に強く日本人である、ということです。」

「真の愛国は、トランス・ネーションの中にうまれます」

・・・・・・・・・・・・・・・・・以上

 

BSでは、トランスを「飛ぶ、飛躍する」と訳していた。

 

いずれにしろ、一つの国家などに捕らわれず、国家の枠を超えて客観的にそれぞれを見ることができるようになることが、真の愛国ということになる。と言うことだろう。

 

自分の属する民族、あるいは生まれた国を愛するというのは自然な感情かもしれないが、それ以上に、冷静かつ客観的に今そこにある国と民族をしっかり観察評価することが大事だということだ。

 

「400年の日本の垢」という言葉には、明らかに日本に対する蔑視が含まれている。それを敏感に感じ取った沈氏は、感覚的にもそれが納得できなかったのだ。

 

たとえ先祖が日本に強制的に連れてこられたとしても、日本で一定の地位と待遇を得て、営々として陶芸の技術を磨き尊敬を集め、日本人の中で朝鮮人としても誇りをもって生きてきたわけで、日本人だから、朝鮮人だからというような境地はとっくに超越していたんだろうと私は思う。

 

何のために、つまらない優越感にこだわるのか?

 

一昔前は、盛んに「国際化」が叫ばれた。

観光地の看板を各国表記に変えたら国際化した気分になった時代もあったね。

 

今は、インバウンドがはやり言葉で、外国人観光客の弊害などが議論されているが、移民の問題を含め「国際化」は依然として課題のままに残されているように思う。

 

 

たまたま、私の孫は「ハーフ」である。

国際化というならば、表現は悪いかもだけど「混血」こそ国際化そのものを具現している。

嫌でももう一つの外国を意識しなければならないのだからね。

 

そもそも日本人の祖先を考えれば、太古の日本列島が大陸から分離して以降、日本列島には大陸や南方からも様々な人々がやってきたはずであり、アプリオリに「日本人」なるものが存在したわけじゃないことはわかりきった話だ。

 

私の理解では、多分、稲作を伝えた民族が力を持ち主流となって、西から東へ北へとその支配権を広げていったのだろう。

その過程では、当然に既存の部族との融合も進んで行ったはずだ。

血にこだわると言うのなら、そこまで考えて、「純血」などと言う馬鹿な思考は捨てた方がいいと思う。

 

別に、国際化について高尚な議論とかできもしないのだが、田舎の町に生まれて、小中高時代を含めて、外国人やハーフの同級生など1人もいなかった環境に育った人間にとって、自分の娘の国際結婚でかわいい孫がハーフとなった身には、これこそが身近な「国際化」そのものだったのだ。

 

そこで実感として思うことは、○○人とかいう前に、一個の人間としてどうなのかということが大事だということだ。

 

それは、アメリカなどの建国の歴史を見れば明らかだが、本来のアメリカ人は先住民族のインディアンだ。

ヨーロッパで迫害されたピューリタンが移民としてやってきて、征服者としてアメリカを支配した。

アメリカは、移民の坩堝と言われ、○○系アメリカ人が普通の存在だ。

 

ちなみに孫娘は、スパニッシュ系だ。

父親の父親がスペインからのベネズエラへの移民だったからね。

 

アメリカのような国に住んでいるならば、○○系というところで、何らかの差別的な意識があるのかもしれないが、それはあまり問題ではなく、むしろ信じている宗教が何かが多分より大きな問題なんじゃないかと思う。

 

既に、韓国、中国、フィリピン、ブラジル、ベトナムなど一定数の外国人が日本にも定住しているが、もしこれから難民として、様々な国の人々が日本にも来るとしたら、何が一番問題になるかと言えば、宗教と習俗・習慣だろう。

 

それをどこまで許容できるかの判断基準は、結局、日本国憲法を守れるか、違反していないかということ以外には無いのだと思う。

 

どんな宗教を信じようが自由だが、統一教会などカルトと判断せざるを得ない宗教は子供の人権侵害などが無いのか、ちゃんと規制する必要がある。

 

タリバンのような、女性の権利を基本的に無視する連中は移民としては入国させられないだろう。

まあ、タリバンから逃れてくる人がほとんどだろうけど。

 

 

バイデンは、先日、日本が移民の受け入れをしないことを非難したけど、それって、パレスチナ難民を受け入れさせるための露払いの発言じゃないのかと思っている。

 

だって、ガザ地区やヨルダン川西岸地区からパレスチナ人を一掃しようとするイスラエルの野望を支援しようというなら、人道目的とか言いながら、同じイスラム圏の国々はもとより、西側諸国にも一定の難民の受け入れをさせる腹積もりがあるんだろうと思うからだ。

 

いずれにしろ、人口が減ってくる時代だ。

移民の受け入れは必然的な流れとなり、本当の意味での「国際化」が必至となるだろう。