先日、久しぶりに映画「砂の器」をテレビで見た。😸



推理小説家、松本清張原作の日本映画の名作の一つだというのは、変わらない評価だと思う。

「砂の器」と聞くたびに、刑事役の丹波哲郎、田舎の人情厚い巡査役の緒形拳、犯人役の新進音楽家の加藤剛の顔などが、映画のテーマ音楽「宿命」の旋律とともに、脳裏に蘇ってくる。

しかし、この映画に秘められた社会派と言われた松本清張の問題提起は、あまり正面からは論じられてはいなかった。

この悲しくも残酷な犯行に及んだ犯人の「宿命」と言うべき非条理を背負わせたものは何だったのか?
そういう環境を強制したのは誰なのか?

そんな重いテーマがこの作品の背景にあるのだ。

今、政府が、偽だとか誤情報だとか勝手に判断して、SNSのプラットフォームの事業者に削除要請することができる様になる法改正が、国会にかけることもなく閣議決定でなされようとしている。👹


今すでに同じような事業が厚生労働省で実施されているが、先日ブログで紹介したように、情報公開を請求したら、全くの墨塗り非開示だ。

こんな、これからのネット社会の民主主義の根幹に関わる法律を国会審議もしないとは、もはや無法状態だ。👿

マスコミは既に抑えられいるので、この問題はテレビなどでは報道されていないが、心あるジャーナリストは記事を書き、それをなんとかネットではニュースで流している。

以下のニュースだ。


このニュースの中で、筆者は以下のように、明確に問題点を指摘していた。


(以下上記より、要点部分抜粋)


●「エビデンス」を国がジャッジする危険性


歴史を真摯に学べば、国家が病や薬害についての「エビデンス」をジャッジして、国民に言論統制を求めていくというのは、目もあてられないほど、ひどい結末を招くことがわかる。 その最もわかりやすい「悲劇」がハンセン病だ。


「らい菌」に感染することで起こるこの病気は、他人への感染力が非常に弱く、治療法もある。

かつては伝染する恐ろしい病気と誤解されて、患者は療養所に隔離されるなど非人道的な扱いを受けていた。しかし、1943年にアメリカで治療法が確立されたことをきっかけに、世界中で通院し、薬での治療ができるようになった。


 しかし、そんな「エビデンス」に背を向けて、ハンセン病患者を見つけ出しては、療養所に押し込めるということを、政府や自治体をあげて推進していた国がある。そう、日本だ。


海外のハンセン病患者が病院に通いながら治療をしていた1960年代でも、日本では「無らい県運動」が盛り上がっていた。これはハンセン病の根絶を掲げた厚生省(当時)が地方自治体や民間に呼びかけて、自宅でかくまわれている患者を見つけ出して、療養所送りにするという「患者狩り」という官民運動だ。


 では、なぜ日本人がそんな愚かな隔離政策を続けていたのかというと、それが日本政府の「科学的根拠に基づく正しいハンセン病情報」だったからだ。

だから今の「ワクチン情報統制」と同じように、政府の考えと合致しない「偽・誤情報」をふれまわる医師や研究者は「言論封殺」をされていったのだ。


・・・・・・・中略・・・・・・・


日本政府がこの法律を廃止して、自分たちの過ちを認めたのはそれから43年が経過した1996年だ。アメリカで治療法が確立してからは55年にも及ぶ。


国家権力が「正しいエビデンス」を決定して、そこから少しでも外れる「異論」を封殺するということをやると、とんでもない悲劇を招くケースは世界中に無数にあるが、日本の場合、ハンセン病の歴史を見れば明らかだ。

・・・・・・・・以上


映画「砂の器」の制作年は1974年。

治療法がアメリカで確立したのが1943年。

日本で人権無視の強制隔離政策が廃止されたのは、1996年。

まだ30年と経ってはいない。👿


映画ができてさえ既に半世紀が過ぎているのに、如何に権力と言うものが、自分たちの見栄や権威のためのには、国民の命や人権を無視するのかということがよく分かる実例であり、マスコミが本来の機能を取り戻さない限り、民主主義など絵に書いた餅なのだ。


政府が主張するエビデンスのファクトチェックに斬り込まないジャーナリズムなど、ただのスピーカーだ。

うるさいだけの国民洗脳機器だろう。


この、「らい病隔離政策」では、強制避妊手術なども実施されている。


国家によるエビデンス無き悪質な人権侵害=犯罪を忘れてはいけない。


権力に対する自由な批判、言論の自由は民主主義国家の土台そのものだ。


それを毀損する様な法制度は、国家の品位、権威、国際的地位そのものを毀損する。


既に、日本の「報道の自由度」は世界で70位まで落ちてしまっている。


このままでは、ロシア、中国、北朝鮮と肩を並べる日が来るのは、そう遠くない。ゲロー


(追記)
映画の終盤、ハンセン病の収容施設にいる犯人の父親(役者は名優の加藤嘉)に面会に刑事が来て、成人した息子の写真を見せる。

その時、父親が絶叫した「こんな奴は知らない!」と言う言葉に秘められた痛切な無念の思いを、権力側にいるジャーナリストや役人や議員どもは感じることさえ出来ないのだろうな。

夢に見続けた愛する息子の立派に成長した姿を、見間違うはずは無いと私は思う。

社会派松本清張の面目躍如の素晴らしい名シーンだ。
監督や脚本家に感謝!