新年おめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます
前回から間があきましたのでので、おさらいをしながら進めます。
前々回の「名残」駅、前回の「池川」駅、そして今回の「上池川」駅は、明治▪大正時代の連隊基地のぐるりにありました。そのことを踏まえて……
名残の地名は、直虎の時代、徳川家康の正室の築山御前が、織田に謀反を疑われた家康の嫡男▪信康の命を救うために自分が身代わりとなり、家康の家臣に討たれる(←大河ドラマ)、そのときに家臣と名残を惜しんだからとも、現世への名残恨みを口にしたからとも、様々伝えられています。
討たれた場所は佐鳴湖(さなるこ)のほとり。
佐鳴湖は、いまの道路やバスで行こうとすると、三方原台地の下道をぐる~っと回る感じで時間がかかり、名残↔️佐鳴湖のつながりがピンと来なかったのですが、和地山公園(奥山線▪池川駅の近く、練兵場の跡地)を散策していたら……
やはり三方原台地のへりの高台にある浜松城からは、平坦な道で名残へ続き、さらに進んで、佐鳴湖に向かえたのですね。
これで、名残と佐鳴湖とがつながりました。
さて、軽便鉄道に戻りましょう。
池川の駅跡から、次駅の上池川は、すっかり住宅街。
(笑)
アクトシティ浜松が見えるこの風景、いつも通る場所の、いつも見ている風景!
軽便鉄道奥山線の存在を知り、路線跡を歩くようになって、本当に知らなかったことだらけ、発見がいっぱい、驚きもいっぱいで、歩いていて嬉しくなってしまいます!🙌🎵✨
↑ ここも、下り坂!
池川駅跡から、次駅の住吉に向かう途中でヒョイと大通りを見ると、静岡大学工学部が、どーん!