軽便鉄道膝栗毛「直虎奥山線」=7= 上池川(かみいけがわ) | ☆新しい生き方を始めても 良いじゃないか?☆

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☆新しい生き方を始めても、良いじゃないかな…半世紀以上を生きて やっと そう思えるようになりました。傘寿を過ぎた母と暮らす毎日はスリリング(笑) そんな 日々の雑感を綴っていきます。(^O^)ノ♪


 新年おめでとうございます
 本年も宜しくお願い申し上げます

 前回から間があきましたのでので、おさらいをしながら進めます。

 前々回の「名残」駅、前回の「池川」駅、そして今回の「上池川」駅は、明治▪大正時代の連隊基地のぐるりにありました。そのことを踏まえて……

 名残の地名は、直虎の時代、徳川家康の正室の築山御前が、織田に謀反を疑われた家康の嫡男▪信康の命を救うために自分が身代わりとなり、家康の家臣に討たれる(←大河ドラマ)、そのときに家臣と名残を惜しんだからとも、現世への名残恨みを口にしたからとも、様々伝えられています。
 討たれた場所は佐鳴湖(さなるこ)のほとり。
 佐鳴湖は、いまの道路やバスで行こうとすると、三方原台地の下道をぐる~っと回る感じで時間がかかり、名残↔️佐鳴湖のつながりがピンと来なかったのですが、和地山公園(奥山線▪池川駅の近く、練兵場の跡地)を散策していたら……

 急な坂道がありました!


 この坂道を下ると、佐鳴湖の方に出るのです。
 
 やはり三方原台地のへりの高台にある浜松城からは、平坦な道で名残へ続き、さらに進んで、佐鳴湖に向かえたのですね。
 これで、名残と佐鳴湖とがつながりました。
 

 さて、軽便鉄道に戻りましょう。

 池川の駅跡から、次駅の上池川は、すっかり住宅街。
 遊歩道の描く緩やかなカーブが、のどかに走る奥山線を思い起こさせてくれます。






 途中で大通り(国道257号線)をまたぎますが……「ここかいっ⁉️」Σ( ゚Д゚)

 (笑)

 アクトシティ浜松が見えるこの風景、いつも通る場所の、いつも見ている風景!
 軽便鉄道奥山線の存在を知り、路線跡を歩くようになって、本当に知らなかったことだらけ、発見がいっぱい、驚きもいっぱいで、歩いていて嬉しくなってしまいます!🙌🎵✨


 ↑ ここも、下り坂!

 池川駅跡から、次駅の住吉に向かう途中でヒョイと大通りを見ると、静岡大学工学部が、どーん!



 静岡大学工学部の正門は、連隊の門と、ほぼ同一の位置にあるそうです。


 ↓ 左奥に、連隊時代の門柱が残っています。






 大学の構内には、連隊(高射砲第一連隊、歩兵第67連隊→1925年歩兵第18連隊第三大隊〈第三師団〉に)…の建物が残っているそうです。

 歩いて、見つけると、いろいろなことを感じ、思いを馳せ、想像をします。


 浜松(遠州)とは、戦国の時代から戦中戦後、現在に至るまで、「戦乱がなくて、平和な世であれば良いなぁ……」と願う人々たちの祈りとイメージとで紡がれてきた町なのだと。

 大河ドラマ「おんな城主 直虎」は終了しましたが、テクテク、「直虎奥山線」の膝栗毛は続きます。

 🐢🎵💨💨💨