こんにちは😃

ご訪問ありがとうございます。



先月11日は、東日本大震災から

12年目を迎えました。

私は毎年この頃になると、YouTubeで

ある映像を繰り返し見ています。

それは、津波の映像です。

どんどん津波が防波堤を越えて

街を襲って来るのを一般の方が

撮影した映像をはじめ、

自衛隊の方が撮影したものや

各テレビ局で撮影してまとめた

映像などを見ます。

それは、あの時感じた


世の中、何が起きてるの?

これからどうなっていくんだろう?


という不安感、恐怖感を忘れては

いけないという思いと、

単純に30年に1度起きると言われている

宮城県沖地震に備えるためにも、

教訓として見ておこうと

思っているからです。



私は、宮城県仙台市のギリギリ端っこに

住んでいます。

この地域は海や川から離れていて、

もともと山だった所を切り開いて

造成された宅地なので、

地盤も硬くひどい被害にあうことは

ありませんでした。

それでも、ほんの少し車を走らせると、

津波に襲われた地域に辿り着きます。

まだまだ、残された土台だけで

全て流されて見渡す限り建設中の

堤防しか見えない所や、

津波により廃校になってしまった

小学校があったりします。



震災直後は、津波で逃げ惑う人々の様子が

テレビでも映し出されていましたし、

何が生死を分けたのかを検証するような

番組もたくさんありました。

しかし次第に放送内容は変化し、

現在では前を向いて生きている人々に

焦点を当て、復興していく姿を追った

番組が放送されるようになりました。



そこには、亡くなった方にも人権は

ありますし、遺族の方々の心情を思うと、

明らかにこの後津波に飲み込まれ

亡くなったんだろうなと思える映像を、

今は放送できない事情もあると思います。

また、震災からしばらく経つと、

いつまでも悲惨な映像を映すのではなく、

未来に向けて歩み出す、

そんな気持ちを奮い立たせる映像が

困難な中で生活する被災者には

必要だったのだと思います。

また、悲惨な映像を映すよりも、

親戚縁者や友人知人などの姿を見つけ、

安否を確認してくれたらという思いで、

多くの避難所を訪ねて取材し

放送したというテレビ局の方のお話も

聞いたことがあります。

その時々で求められていた映像が

あるのでしょう。



そして12年経った今、現在の

小学生は震災を全く経験していません。

中学生だって、ほとんど記憶がないのです。

そうして、震災を知らない世代が少しずつ

増えていくからこそ、

戦争を知らない世代に戦争の悲惨さを

伝えるのと同じように、

震災の悲惨さと、それに対する備えを

怠らないよう、今こそ震災の被害映像を

見ることができる精神状態であるならば

見ておいた方が良いと思っています。



さて、少し前に学習ボランティアとして、

小学4年生の児童とともに、

震災遺構になっている荒浜小学校を

見学してきました。





この小学校は、児童と避難してきた住民

320人が津波に備えて、4階と屋上に

避難しました。

そして津波が押し寄せ、4階建て校舎の

2階までが濁流に呑まれたそうです。

避難した人々はその日の夜から

翌日にかけて、自衛隊のヘリで救出

されました。

震災当時はこのことが、よくテレビで

取り上げられていました。

その後、震災遺構として残すために

耐震・改修工事が施され、

2017年から一般公開されているのです。



震災について何も知らない児童達も、

あらかじめ学校で事前に下調べなど

学習をして来たようですが、

津波の襲来から救助までを追った

写真パネルを見学したり、

津波に襲われてボロボロになった

校舎を目の当たりにして

津波の脅威を感じているようでした。









また、その場で映し出された映像を、

みんな真剣な眼差しで見入っていました。

それは、津波の様子はもちろんのこと、

当時の自治会や学校の先生のインタビュー、

そして救助の様子などの映像でした。





遺構を見学した後は、700m先にある

海を見に行きました。

穏やかな海が青く広がっていました。





「こんなに綺麗な海なのに、

 あんなドス黒くなっちゃうんだ。」


とため息を漏らした児童の表情が

心に残りました。



どうか、仙台や亘理にいらした時には、

この荒浜小学校にも足を延ばして

いただけたらと思います。