こんにちは😃

ご訪問ありがとうございます。



前回の続きです。



7ヶ月後、

夜中の巡回をしていたスタッフさんが

寝ている母をトイレに誘導しようとして

意識がないことに気がつきました。



2度目の出血性脳梗塞でした。

救急車で搬送された病院で

見せられたレントゲンでは

左脳全部と脳幹まで

血液が広がっていました。


先生

「ここまで広がっていると、

 もう意識が戻ることは

 ないと思います。」


「そうですか…。

 3月に施設に入ってから

 1度も面会できてなくて。

 今、会うことはできますか?」


先生

「いいですよ、3分くらいなら。」


言葉どおり3分間だけ

母のベッドのそばに

座ることができました。

元々37kgくらいだった母は

更に小さくなって

急に10歳も老けたように見えました。



コロナの真っ只中なので、

入院の手続きが終わると

すぐに帰宅させられました。

着替えやタオルを持って行っても、

病院は施設と違って

母の様子を教えてくれることは

残念ながらありませんでした。



そして2週間後。

夜中の2時過ぎに電話が鳴りました。

嫌な気持ちで受話器を上げると

それはやはり病院からでした。


看護師

「先程夜中の巡回に行きましたら、

 お母さん息をしてないんですよ。

 すぐ来て貰えますか。」


えっ⁈

それってもう死んじゃったってこと?


慌てて病院に駆けつけました。

私たちの到着を待って、

先生は死亡の確認をし

臨終を告げられました。



コロナ禍だから

仕方ないのは分かっているけれど、

私たち家族がいるのに、

誰にも看取られることなく、

身寄りのない孤独な人のように

そっと亡くなっていた母が、

哀れで仕方ありませんでした。



最初に脳梗塞になってから

亡くなるまで

およそ11ヶ月。

そのおおよその期間、

コロナで面会することは

できませんでした。

母と面会できてたのは

およそ2ヶ月程。

でも、その間に見たり聞いたりした

母の姿は私の知っている母ではなく、

衝撃的なことばかりでした。


つくづく病気は怖いと思いました。


母は暴飲暴食や、

お酒やタバコとは無関係な人で、

社交ダンスをしたり

散歩をしたりと

それなりの運動はしていました。

それなのに血管が詰まってしまうなんて。



それじゃあ、

好きなだけ食べて、

運動なんか全然しない、

見た目母の2倍もある様な私は

明日にも脳梗塞になったって

おかしくないと思いました。


怖い!

あんな風に何もわからなくなって、

理性を失っていき、

子供たちの重荷になってしまうのは

絶対に嫌だ‼︎

強くそう思いました。



それから私は少しずつ

自分の生活を健康的に

改善しようと思いました。

先ずは、

杖がなくても歩ける様になること。

いずれは普通に歩ける様に。

そして、散歩や運動をすること。

何より食生活を見直すこと。



今現在、取り組み中です。

それについてはまた別の機会に。