皆様、ご機嫌YOです!

 

鎌倉幕府の打倒から建武の新政を支えた朝廷方の武士の中には「三木一草」と呼ばれた人たちがいました。その中の一人に結城親光がいますが、今回のお話は彼ではなくその父である結城宗広です。彼は南北朝を題材とした松井優征氏の漫画「逃げ上手の若君」でも、一見穏やかな好々爺風の人物として登場しています。

彼は一貫して朝廷方につき、鎌倉幕府や足利尊氏との戦いを繰り広げました。今回はそんな彼の生涯をまずは動画にて見ていきたいと思います。

ちなみに、彼の生き様については下の楠木家の末裔の御仁も取り上げており、彼を正成の「盟友」と紹介しております。

 

さてと…ここからは時間外労働です(CV津田健次郎)。

南朝方の忠臣として生き続けた宗広ですが、実はとんでもない側面を持っている人物でもありました。それは…

…これは決して作者である松井氏の創作ではありません。

太平記にもきちんと書かれているお話です。太平記では宗広の死の記述の後、彼は常に死人の首を見ないと気分が晴れないと言って僧尼男女問わず毎日(!)二、三人の首を斬ったとのエピソードを紹介し「その報いを受けて塗炭の苦しみを受けて地獄に堕ちた」と加えている。

 

…どう見てもシリアルキラーです。

本当にありがとうございました。

精神的に逝っちゃった人物を描くのが大好きな松井氏好みの人物、さぞ絵筆が進んだことでしょうなあ…。

 

楠木家末裔さんよ、はっきり言って盟友どころか正成が最も嫌悪する類の人物だと俺は思うのですが、大丈夫か?