「アディクトを待ちながら」を観て | turtlemomのブログ

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大阪在住のアラフォーママの日々のブログです^_^

アディクト(依存症の人)のタイトルを見て、何だか誰にしも当てはまる問題なのではないかなと直感で思って、

チケット情報を調べた。

私の住んでいるところから一番近いところでの上映は”ナナゲイ(十三にある老舗映画館)”だった。

私は”ナナゲイ”で映画を見たことはなかったが、何だかここで上映されている映画は日々の生活に問題提起したくなる話題の映画が多く、ここで映画を観ることに憧れがあった。

今回はそれを叶える絶好のチャンスかもしれないと思い、ネットでチケット予約した。

もう座って観れる席は3席しか残っていなかった。

そんなに人が集まる映画なんだとびっくりしたが、余計に観たくなった。

 

7/7七夕、チケットを予約した日がやってきた。

今日は上映後の舞台挨拶があることもあり、立見席まで満員御礼状態。

どんな人たちが映画にくるんだろう?と思っていたが、中高年の方々が多かったように思う。

俳優さんの推しの方も沢山いらっしゃった。

席に座ってみたが、何故か初めて来たような気がしなく、落ち着ける環境があった。

 

そして、上映前のコマーシャルもなく当映画が現れた。

上映前のコマーシャルがないってストレスフリーだ。

始まったところで、私の頭の中に思いついたことは、推し活や当事者恋愛に夢中になることは依存なの?

それらによって救われる時、頑張れる時、時には辛すぎる状況になる時があるけど?という疑問が湧いてくる。

どこからどこまでが依存に当たるんだろう?

日によって、天気がどうか、どんな人と出会って話をするかによっても依存傾向ってグラデーションのようなものではないの?

病院でそのように判断されることが依存症なの?

どうやって人はそうだとわかるの?

様々な疑問が湧いてくる中、作品が流れていく。

 

色々な依存症に苦しむ当事者や家族、親しい関係の方々が映り出されていく。

アルコール依存、買い物依存、ギャンブル依存、薬物依存、会社を失敗して自死された家族の苦しみなど・・・。

そんな中、支える人達は各々の苦しみを抱えながらも励まし合い、健気に自分を維持しようとする(苦しみを分かち合う)の映像に安堵をしたりしながら、依存症に苦しむ人達が自分で今までのことを真っ当に消化し、立ち上がる事を待ち望んでいる。

作中での演者の方々が自身の頭の中、心の中にあるものが上映されている気がした。

「恵まれた環境にある人でも自分を好きになれないことが依存症に繋がる」という内容の言葉。(実際はどんな台詞かは覚えていませんが・・。)

人が生きる中で誰にしも必要になる言葉だと感じた。

自分を好きになれない人に意地悪を言ったり、その他様々な問題が起こるが、何よりも自分が一番苦しい。

 

上映後、高知さん演じる大和さんを待ちながらという意味で、『アディクトを待ちながら』という単純な題名だったのかな?

と思ってしまったのですが、監督さんの舞台挨拶で、「周囲の人達が『待つ』という世の中になるというメッセージを込めて」という意味があるという事をお聞きして、より作品の素敵さを感じた。

というより、私っていつも待てない人間だなという自制もありながら。

同時に壇上されていた、若手俳優さんの横山さんは「依存症だからと言って悪い人ではないです」とご家族の実体験も踏まえながらお話をされていました。

実際にこの映画の臨場感のある台詞の数々は依存症当事者や周りで支えた人達の実際の言葉が多数あり、高知さん演ずる大和さんの言葉は台本のない台詞だったようです。

これを聞くと、もう一度観て、どんな事を仰っていたのかを確かめたくなりました。