9月9日は五節句の最後にあたる
重陽の節句(ちょうようのせっく)です。
重陽の節句の由来は、
陰陽思想から来ており、奇数を縁起の良い
「陽数」とすることから、最も大きい陽数
である「9」が重なる9月9日を「重陽」と
呼ぶようになりました。
平安時代に日本に伝わり、宮中行事として
菊に花を観賞しながら宴を開いたり、邪気払い
を兼ねて菊酒を飲んだりして、無病息災や
不老長寿を願いました。
別名「菊の節句」とも呼ばれ、江戸時代には
五節句の一つとして広く親しまれました。
また、「栗の節句」とも言われ
今でも食べ物に関しては
栗ご飯、秋ナスの料理、食用菊を
お酒に浮かべて飲んだりします。
また、神社などでは
「重陽の節句限定の御朱印」
を頂けるところがあるようです。
重陽の節句については他にも
この日の約束は死んでも守らなければならない。
というような話もあります。
雨月物語の一遍に「菊花の契」という小説があり
それを基に書かれたと言われる
小泉八雲の「守られた約束」にも
そのことが書かれています。
戦国時代のお話です。
播磨の国に住む義弟の左門と別れを告げ
故郷である出雲の国に帰る宗右衛門
その時に約束したのが
「重陽の節句には必ず帰ってくる」
時がたち、重陽の節句の日
左門は朝から門前で宗右衛門を待っています。
左門の母も酒の肴など準備しておりましたが
宗右衛門は一向に現れませんでした。
左門は夜も更けたので母親には
先に休んでもらい、一人で待っていました。
もう日も変わろうとしたその時に
宗右衛門がやってきて言いました。
「自分は今出雲の国に居て、謀反を疑われ
幽閉されて身動きが取れないでいたが
しかし、どうしても約束を守りたいと
思案していて、古のことわざを思い出した
(魂よく一日千里を行く)
出雲の国から播磨の国までは
百里以上離れている。
人の魂は一日千里の旅ができる
ならば、魂になってお前に会い来よう
と決意し、出雲の国で今日自害した!
約束を守る為に魂になってやってきた。」
という、ちょと恐ろしくも悲しい物語です
何も命がけで約束をすることはありませんが
自分の心に決めた「約束の日」が
あってもよいのではないでしょうか!?