ほだされる
「ほだされる」という言葉がここ数日
頭の中に浮かんできて離れませんでした。
知っているはずの言葉なのに、意味が
イマイチはっきりと思い出せません。
ボケてきたとは思いませんが、
しばらく使っていない日本語の意味が
ハッキリしませんでした。
「される」と言うことから受動的であり
素晴らしく良い言葉にも思えなく
しばらく悩んでおりましたが
「人情にほだされる」と言う使い方をすると
「ほだされる」とは、
自分の意志とは関係なく、相手の人情に
流されてしまうという意味になります。
ほだされるは漢字で「絆される」と
書きます。「絆(きずな)」という漢字を
使います。
「絆」とは、犬や馬、鷹などの家畜を
つないで置く為の綱のことを言い、
このことから、本来の意味は
「束縛」「しがらみ」であるとすれば
「人情に絆される」の意味は
「人情というしがらみに囚われる」
ということになります。
絆を「きずな」と読めば現代では
素晴らしい意味て使われることが
多いです。そのことを否定する
つもりはありませんが、
絆の漢字を分解すると「糸が半分」
ということになります。
一方で、赤い糸で結ばれているの
結の漢字を分解すると「糸が吉」
ということになります。このことから
絆は糸が片方しか止められておらず
垂れている糸を誰に繋ぐのかを
探しているようにも見えてしまいます。
例えば、家族に絆などは
「子は親を選べない」から始まり
仕方なく結びついてしまった、
どうしようもなく不自由な縁の集まり
ということにもなるかもしれません。
この「どうしようもなく不自由な縁」
を理解することなしに、「絆」という
漢字を安易に使わない方が良いように
思えます。
参考までに「縁」という漢字を分解すると
「糸に彖」の組み合わせで彖は
丸く淵を巡るという意味があり
縁は「まわり、つながり、ゆかり」の
意味で使われます。