天網恢恢疎にして失わず
「天網恢恢疎にして漏らさず」という
故事成句として有名です。
「天道の網は広大で目が粗いように
見えるが、すべてお見通しであり
悪事はいずれ必ず罰が下され
そこから漏れることは無い」
の意味として用いられることが
一般的のようです。
老子の第73章の最後に出てくる成句です。
章全体の解釈は色々あると思いますが
虚無自然であるところの天道天理に
背いた思いや行動は必ず身を亡ぼす。
何事も静かに自然の道に依り、
穏やかにその時に応じて良く謀れば
禍を受けることは無く、上手く行く。
では、天道天理に背かないこと
とはどういうことなのか?
これを判断することは聖人と言えども
難儀な事である。
何故なら、「天網」という天の網は
至って大いなる網で、網目が無いように
見える物であるから、人は時として
その粗い網目をすり抜けようとして
天道天理を破ってしまう事が多い。
天網は疎にして(網目が荒いからと言って)
失わず(天道天理が失われる訳ではない)
ということになるのでしょう。
この聖人でも判断が難儀と言われる
天道天理を極めようと挑戦してきた
多くの人達がいます。
易学理論の枠組み、とりわけ
易学の天地人の三才の道は
陰陽五行の生剋制化の原理を基礎
とし、干支理論を加えることにより
さらに深い段階に発展させました。
十天干と十二地支の合わせて
二十二文字は、天を通じて地に達する
間に人の心や行動を観ているものとして
それぞれの文字に独自に無限の意義を
見出し天道天理に近づこうとして
多くの人達が今でも挑戦しています。
易学の理論だけでなく虚無自然の
天道天理に何を用いて、どんな理論で
近づくのかは人それぞれ、
天からの啓示を受ける人もいれば、
地から龍のごとく天を目指す人も
居ることでしょう。
何故なら、
「天網恢恢疎にして失わず」で
そこにあると信じているからです。