前に進む
前に進む、他の動力や機械を使わずに
生身の身体を前に進ませるのは「歩く」ことです。
歩き方を知らない人は、通常ほとんどいないと思いますが
念のため書きます。
左右どちらの足からでも構いません。
特別な集団行動をとる場合を除いて
最初の一歩について決まりはないと思いますので
最初の一歩が前に出たら、今度は後ろに残った足を
前に出します。この動作を左右交互に行うことにより
前に進むことが出来ます。
足の交互の動きと連動する、手の振りについては
左足と右手が同時に前に出る舶来式であろうと
左足と左手が同時に前に出る国産式(ナンバともいわれる)
のどちらでも自由に選んでいただいて構いません。
如何でしょうか?これが一般的な「歩き方」です。
人の身体はこの歩き方で「前に進む」ことが出来ます。
前に進む距離を稼ごうとすれば歩幅を広く取り
時間を稼ごうとすれば、交互に出す足を速くし
[歩く]ではなく、[走れ]ばよいことになります。
当たり前で、分かり切ったことを長々と
バカにするなと怒られそうですが、
身体を前に進めるには歩けばよいのですが
では、「心」も歩くと同じように前に進めることが
出来ますか?
陰陽学的に左右を考えると
左を陽とすれば右が陰ということになり
それぞれが正反対の性質を有するものとなります。
ということは陰陽学的に歩いて「前に進む」動作は
正反対のものをバランスよく許容して使っている
ということになります。
身体を物理的に前に進めることは出来ても
心が同じように、身体と一緒に前に進めるかと言うと
多くの人の心は、正反対のものをそう簡単には許容できず、
いつも片足歩行の状態なので、身体は前に進んでいるようでも
心はすぐに転んで傷ついてしまいます。
「心」が片足歩行で有ることに気が付かなければ、
心は疲れ果ててしまい、不運を招くことになります。
正反対のものの許容量を増やしたければ
心の歩幅を広く
理解力を早くしたければ交互のやり取りを早く
つまり心が「走れ」ばよいのです。
とはいえ、書くは易し、行うは難しということでしょう。
しかし、心の問題に限らず、現実的に起きる
諸問題についても、正反対の物の許容量と
理解力の速さが多くの解決策を導き出しています。
「前に進む」