運命を分けるもの | 「七次元カフェTURTLE D」のブログ

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訪れるだけで開運!?するとTVや新聞などでも紹介された、大井町の「開運カフェタートルD」が進化して、大井町から七次元にワープして、「七次元カフェ」になりました!
占い鑑定やイベントを五反田周辺の東京や、あるいは沖縄・北海道海外まで、どこででも行います。


運命を分けるもの


 


「運命の分かれ道」と言われるような


大きな選択を迫られることは人生で


そう何度も起こるものではありません。


 


普段の生活の中で「運命を分けるもの」とは


自動車の運転に例えると解りやすくなります。


「運転」とは「運を転がす」或は「運に転がされる」


両方の意味合いがあって、面白いですね。


 


一般的に自動車はセンターラインのある車道を走ります。


運と不運を分ける基本はこの「センターライン」です。


 


走行車線は安全の「運」がありますが


対向車線には危険の「不運」があります。


つまり、「運」と「不運」はいつも隣合わせということです。


 


前方に停車中の車や障害物がある場合や


追い越しをする場合などには一時的に


センターラインを越えることがあります。


 


前後の安全を確認しながら、当然のように


「不運」の領域に侵入します。


何事もなく回避してしまえば、一瞬でも自分が


「不運」の領域に侵入したとは思いません。


 


誰でもが操作する当たり前の運転です。


何事も起きずに「安全」に走行できたのですから


「不運」の領域に侵入したことも忘れて


人間の「脳」は当たり前で安全な動作として認識します。


 


この「不運」な領域を安全にやり過ごした経験が


多い人ほど、無意識のうちに「不運」を「運」と


錯覚してしまうことが多くなります。


 


結果として、大きな決断を迫られる


運命の分かれ道で、道の選択に誤りがなかったとしても


選んだ道にも当然センターラインがありますから


無意識のうちに「不運」領域を「運」の領域と


錯覚してしまうことが増えることとなり


結果は自明の理ということです。


 


普段の生活の中で当たり前の思考や行動が


「不運」の領域を犯していないか?


当たり前が本当は当たり前でないかもしれません。


 


普段のいつも通りの生活と思っても


昨日と同じものなど存在しません


時の流れは停滞を許しませんので


 


「当たり前」ではなく


「不運」の「当たる前」に


「センターライン」をもう一度ご確認ください。


 


実際の自動車は「運」の走行車線を運転していても


前方の確認は当たり前で


後方も注意していなくては追突されたり


左側からは人が急に飛び出してきたり


対向車線から車がぶつかってくるかも?


などと、とんでもない危険がいっぱいです。


 


安全運転にはとんでもない集中力と


エネルギーが必要です。


 


自動車を運転するときの


集中力とエネルギーを日常生活で使えば


「不運」になることもないかもしれませんが


確実に寿命が短くなるので、


それは、「不運」なことになります。